2022年09月05日
「学習」は意志動詞、「習得」は無意志動詞
今日の#むらスペでお話ししたいのは、「学習」は意志動詞、「習得」は無意志動詞ということです。
今日僕がお話しすることは非常に個人的かつ感覚的なことで、あまり客観的な根拠はありません。でも、こういう感覚的なこともとても大事だと僕は思っているので、それをご紹介しておきたいと思っています。
ここにいらっしゃるのは日本語教師の方がほとんどだと思いますが、皆さんは意志動詞、無意志動詞という概念を教わったと思います。初級の教科書にはあまり「習得する」という言葉は出てこないので、これが意志動詞なのか無意志動詞なのか、そんなに考えたことがないと思いますが、皆さんのイメージでよいです。主観的な感覚として、習得するというのは意志動詞だと思いますか。それとも無意志動詞だと思いますか。意志動詞の要素が強いと思う人はハートマーク、無意志動詞の要素が強いと思う人は涙のマークでリアクションをいただけないかと思いますが、いかかがでしょうか……ハートマークを頂いています。意志動詞の方が多いですね。
実際にウェブで「習得したい」と検索すると「20代で習得したいスキル」といったのがたくさん出てきて、意志動詞で使われている例をかなりたくさん見ることができると思います。
でも、先ほどTwitterで「#むらスペ」のハッシュタグ付きで同じことをアンケートしてみたのですが、結果が拮抗(きっこう)しています。意志動詞が46%、無意志動詞が53.8%という感じになっています……今、Twitterではもう1票入って同点になりました。
僕は学術的に研究しているわけではないので、どちらの要素が強いかということに対して、そのどちらが正しいと主張するつもりは全然ありません。皆さんがどちらだと思っていても、僕はそれに対して反論したりするつもりはまったくありません。
その一方で、学習という言葉については、無意志動詞的に使われることはほとんどなく、意志動詞的な使われ方がほとんどではないかと思います。
ここまでを前提にして、ここ数日で僕がヒンディー語を勉強しているときに感じたことを、これからお話ししたいと思います。
今、文法書などを使わないで『RRR』というインド映画を見ています。オリジナル版はたぶんテルグ語か何かだと思います。インド映画というのは面白くて、同じ映画がいろいろな言語のバージョンで同時に公開されます。この『RRR』もテレグ語バージョンとヒンディー語バージョン、あとタミル語バージョンもあったでしょうか。どれがオリジナルというわけでありません。ですが、ヒンディー語を勉強しているので、僕が見ているのはヒンディー語バージョンです。
僕はTwitterで「#ヒンディー語」のハッシュタグ付きで定期的に気が付いたことを書いているのですが、例えば「hissa」というヒンディー語があって、これは「部分」という意味の言葉です。最初にこれに気が付いたのは少し印象的な場面で、メインキャラクターの人が貝のかけらか何かを割って、自分のふるさとから旅立ってデリーに来るときにそのかけらのもう一つを自分の恋人に渡して、「私の一部は常にあなたと一緒である」というようなことを言うわけです。
それで、その「hissa」という形が何となく頭に残っていました。その後、まったく別の場面で「hissa」という言葉が出てきたのです。最初に見たときは、はっきり言ってあまり明確には覚えていませんでした。でも、2回目――といっても、映画自体は4周目ぐらい、正確には8回ぐらい目にしている――に、前半で出てきた言葉が後半でまた出てきたときに自分で気が付いたのです。「あれ、あのときのあのせりふに出てきた、あの単語だよな」と思って、映画館ではなくてNetflixで見ているので、巻き戻すというのも変ですが、その前のところに戻ってそこで確認したら、やっぱり同じ単語だったというのに気が付いたのです。
これはかなり習得に近いものだったと思います。実際、その後も「hissa」と「部分」が結び付いていて、「部分ってヒンディー語で何というんだっけ」と迷ったことはありません。要するにもう覚えた、はっきり言って身に付いたという感じです。
このとき、Language Reactorの機能の一つを「これは素晴らしい機能だ」と思いました。Language Reactorを知らない人がいるかもしれないので最初から説明しますと、Language ReactorというのはGoogleクロームの拡張機能で、Netflixを見ているときに二つの字幕を同時に表示させることができます。例えば、ヒンディー語と日本語の字幕を同時に見ることができるので、対訳として見ることができるわけです。かつ単語を登録したり、せりふをフレーズとして登録したりすることもできます。
非常に多機能ですが、そのうちの一つの機能で、単語をクリックすると例文がたくさん出てきて、その例文が同じ映画の中の例文だったりするのです。2種類の例文が出てきて、上の方には同じ映画の他の場面で使われている単語の例文が出てきます。下の方には映画以外の例文、「例えば」と書いてあって、例文のリストのようなものがあってそこから検索して出してくるのだと思いますが、そちらは正直言って場面が全然分からないので僕は参考にしていません。
要するに、同じ映画の他の場面で同じ単語が使われているのを見ることができるのが、僕にとっては非常に画期的な感じがしました。
それで「ヒッサ=部分」に気が付いたときに僕は非常に味を占めた感じがして、その後も僕が覚えていない、習得していない単語が出てきたらそれをクリックして他の場面も見るようにしていました。難し過ぎる単語はその映画の中で2回も3回も出てこないので、それは使えません。けれども、僕の知らないレベルの単語だけれども同じ映画の他の場面でも出てくるようなもの、それが今の僕にとってはちょうどいいレベルなので、この2、3日その機能を使って覚えようとしていました。例えば、「talaash」が「探す(探索)」、「khatra」が「リスク」、「Bhatak」が「さまよう」といった感じです。
でも、最初に味を占めた「hissa」のときとは全然違うのです。覚えるのが大変なのです。今日このことを話すから、先ほども、あそこのあの場面であの彼が言っていた「さまよう」のヒンディー語は何だったかを思い出そうとしてもできないのです。ですから、後からTwitterに残しているメモを見て今もう1回書いたりしました。
「探す」と「さまよう」は、映画の中で「ラーマを探してシータがさまようことはない」という一つのせりふの中で同時に出てくるのですが、ラーマとシータというのはこの映画のキャラクターでもあり、かつラーマーヤナも明らかに参照している話です。ラーマはラーマーヤナの主人公で、シータはそのヒロインです。ラーマーヤナのストーリーの中でも、シータを探してラーマがいろいろなところに行ったり戦ったりします。でも、逆にラーマを探してシータがさまよったりすることはありません。こういう古典も踏まえたせりふなので、非常にせりふとしても印象的かつ場面としても(ネタバレになるので言いませんが)、とても重要なところです。
そんなに非常に印象的なのに、「talaash(探す)」「Bhatak(さまよう)」といった単語が覚えられていないのです。覚えられていないというのは、習得に結び付いていないということです。つまり、どの場面で話していたかというのはよく覚えている。「さまよう」「探す」など、その意味もよく覚えている。少なくとも日本語では「ラーマを探してシータがさまようことはない」というあの例文だというのも覚えています。でも、形は覚えていないのです。形というのはスペルと言ってもいいかもしれませんが、それだけ覚えていないのです。
けれども、それとは対照的に「私の一部分は常にあなたと一緒にいます」の中にある「部分」の意味を持つ「hissa」という単語はもう一発で覚えたというか、気が付いた時点ですでに覚えていたという感じです。ですから、復習などもしていません。いつの間にか覚えていることに気が付いたという感じです。これが大量のインプットによる習得という感じなのだろうと思いました。
それからもう一つ、最近習得と学習の違いで気が付いたことがあります。例えば、ヒンディー語で「はい」のことを「ハン(hの後の母音aが鼻濁音)」と言います。僕はいつも通勤するときにオート三輪を呼んで乗るのですが、タクシーアプリだと相手のドライバーさんの名前が表示されています。ですから、ナンバープレートを見て「キャーアープ、クリシュナ、ジヘ(あなたはクリシュナさんですか)」と聞いて、当然向こうは「はい(ハン)」と答えるのですが、まだ僕は腹落ちしていないのです。
それが習得していないということかもしれません。「ハン」と言われて聞き返されたように聞こえてしまうのです。それでもう1回「あなたはクリシュナさんですか」と聞いてしまったりして……すみません、ばからしくて笑ってしまいました。それでもう1回「ハン」と答えてくれます。そういうことがまだあります。頭では分かっているけれども腹落ちしていない感じがあります。
とても主観的かつ感覚的なことなので、今日は話にあまりまとまりがなくて申し訳ありません。要するに第二言語を習得するというのは、やっぱり自分で気が付くというのが非常に大事、というか、もうそれしかないという感じです。意志的にできるものではないというように僕は今思っています。
もちろん環境を整えることは意志的にはできます。例えば、英語を習得したいから留学する、あるいは僕のようにヒンディー語を習得したいからLanguage Reactorでたくさんヒンディー語の映画を見るといったことは意志的にはできます。けれども、一つ一つの語彙をいろいろな場面で見て意志的に習得しようと思っても、やっぱりそれは難しいというのが感覚的に分かってきたというか、僕はそう思っています。
自然に気が付いたものではなくて、この単語を覚えようと思って複数の場面で同じ単語が出てくるのを見たり、それをツイートしたり、そういうことを意図的に行っていても、それは学習なわけです。ですので、それイコール習得という感じでは全然ないというのが、この数日で思ったことです。そういうわけで、インプットの大切さを非常に実感しています。
ということで、今日僕が言いたいことは以上になります。リスナーの皆さんも、別にインド映画ではなくても第二言語を自分で学習するときにはこういう感じでたくさんのインプットを大事にしていただきたいと思います。かつ、Language Reactorなどを使ったりすると、自分のレベルに合った語彙だけが自然に順番通りに身に付くということが今、僕が実際に体験していることの一つなので、ぜひ皆さんもやってみたらいかがでしょうか。
今日は「学習」は意志動詞で「習得」は無意志動詞ということについてお話ししました。これについてご感想・コメントがありましたら、ぜひハッシュタグ「#むらスペ」でご共有いただければと思います。それでは本日も良い一日をお過ごしください。
そして、冒険は続きます。
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