冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?
今日お話したいのは、人工知能がスピーチコンテストの格差をなくす可能性があるということです。これを話そうと思ったのは、僕が感じているかぎり、ChatGPTなどをあまり使ってないように思われる語学教育関係の方々が、「スピーチコンテストにChatGPTを使わせてはいけない」というようなことをSNSなどで書いているからです。それどころか、「ChatGPTを使われてしまったらどうすればいいのか」という悩みを書いている方も見かけました。
しかし、ここで皆さんに振り返ってほしいのですが、今まではどうだったかということです。今までもスピーチコンテストの原稿というのは基本的には学習者が一人で最初から最後まで全部書くということはあまりなかったのではないでしょうか。少なくともスピーチコンテストで優勝するぐらいの人は、さまざまな日本語の先生方が添削したり、話し方の指導をしたりするものです。また、日本人の友達がいたら、その友達が原稿に手を入れるなど、いろいろ手伝っていたのが現実です。
ただし、僕はそれが悪いことだと言っているわけではありません。日本語教師の方、友達の方が善意でやっているのは間違いないと思いますし、それが学習者にとって非常に大きな学習の機会になっていることも間違いないと思います。ですので、日本語教師や日本人の友達がスピーチコンテストの出場者の原稿や練習に協力するのが悪いことだとは僕は全然思いません。
しかし、それと同じ意味で、ChatGPTが手伝うことがダメだとも僕は思いません。なぜなら、日本語教師の方にもさまざまな考え方の方がいるからです。中には、教師はそういうことを手伝うべきではなく、学習者が自分の実力で準備するべきだと考えている方もいます。協力したくても忙しすぎて協力できない教師もいるでしょう。
例えば、海外の場合、同じ大学などに日本人の留学生がいるかどうかで状況は大いに違います。また、日本の国内でも、その人の性格によっては、友達や先生に協力をお願いできない人もいます。もちろんできる人もいますが、ここに大きな格差が生まれてしまっていたのが、これまでの現実だったと思います。
つまり、ChatGPTを使用するか否かにかかわらず、ある種の格差が存在し、恵まれた環境にある人だけが、自身の能力だけでなくその環境によってスピーチコンテストで勝つことができたという不公平性や格差があったことは間違いないと思います。ここで、ChatGPTだけを禁止するということは、僕は、それがその格差をそのまま残してしまう構造になると考えています。そして、それはあまり良いことではないでしょう。なぜなら、ChatGPTはもちろん、インターネットを使えない人もいますが、それは人口のごく一部だからです。途上国でも、インドでも、人口の9割ぐらいの人がインターネットにアクセスでき、さらに日本語学習者に関しては、ほぼ全員がインターネットを使えると考えられます。
それでも、もし仮に1%や2%の人がChatGPTを使用できなかったとしても、例えば、先生に手伝ってもらえない、日本人の友達がいないなど、恵まれた環境にない人たちは、その数ははるかに多いと思います。そのため、僕は、ChatGPTをスピーチコンテストで許可するということは、格差を拡大するのではなく、逆に格差を解消する、完全には解消しなくても、軽減する可能性があると考えています。少なくとも、禁止するのはあまり望ましくないのではないかと思っています。
それと同時に、逆の心配、別の懸念が出てくると思います。たとえば、ChatGPTをある程度使っている人たちは、以下のように反論するかもしれません。「スピーチコンテストの原稿をChatGPTに書かせたら、みんなが書く内容が薄っぺらくなってしまう。それは審査員にとって地獄だ」という反論です。
僕はこれもある程度正しいと思います。ChatGPTが書く内容は本当に一般論なのです。一般論、つまり、誰でも書けるようなことなのです。なぜかというと、ChatGPTには自分の固有の体験や主張というものがないからです。そのため、大量に読まされる審査員の立場がかわいそうという考えは、僕もある程度理解できます。しかし、それは多分最初の1年だけだと思います。
なぜなら、スピーチコンテストには必ず勝ち負けがあるからです。つまり、1年目の、薄っぺらい内容がほとんどで、本当に審査員が苦労するような、そういう事態を乗り越えると、最初のその年に何が勝って何が勝てなかったかというのが明らかになるからです。これは、つまりChatGPTに書いてもらったりして原稿を作ったとしても、その中でも勝てるものと勝てないものが出てくるということです。
こうして、勝てた作品とそうでない作品の差は何だったのかということが、最初の年にみんな気がつくと思います。その差は、やはり固有の体験などです。かつ、「僕はこういう人間です」という主張です。なぜそこで差がつくのかというと、ChatGPTには固有の体験や主張というものがないからです。そのため、スピーチコンテストで書くには、その参加者が、そういう内容を自分で考えて、それをChatGPTにインプットして、それで仕上げさせるという作業が必要になってくると思います。
何度も言いますが、ChatGPTが書けるのは一般論です。そういう誰でも言えるような薄っぺらい内容の原稿ではスピーチコンテストは多分勝てないです。その中にしっかりと、自分の固有の体験などが入っていて、「僕はこういう人間です」と明らかになっている原稿とスピーチと、そうでないChatGPTだけを使っている薄っぺらい内容のものでは、圧倒的に違いがあります。
なので、繰り返しますが、最初の年にその明暗ははっきりわかれると思います。
しかし、逆に、ChatGPTの使い方の一つの例として、全ての参加者にこのように使えば良いのかということがそれをきっかけに理解できるのではないかと思います。
ただし、ここでもいつも同じことを言いますが、自分が理解していない言葉は使わないというのは鉄則です。ChatGPTを使う人、またはスピーチコンテストを主催する人も、この点は注意しておいた方が良いと思います。
それでは、その「自分で理解できない言葉を使わない」というルールが守られているか審査員が認識できるのかというと、それは多分大丈夫でしょう。なぜなら、スピーチコンテストの場合は必ずスピーチが必要だからです(進次郎構文みたいですみません)。そこには文字だけでなく、抑揚など、息の切れ目などの多くの情報が存在します。やはり、ChatGPTによって美しい表現、難しい言葉をたくさん用いて原稿を作成しても、それをただ読み上げているだけでは、スピーチコンテストでは勝てるはずがありません。
内容がいくら素晴らしくても、実際の意味の切れ目とつなぎ目などがずれていた場合、それはとても不自然に聞こえるため、スピーチコンテストでは勝つことはできないと思います。ですので、自分が理解している言葉だけでスピーチの原稿を作るべきでしょう。または、原稿を作成した時点では理解できていなくても、それを理解した状態で練習し、その段階を経た上でのスピーチにならなければならないと思います。
したがって、多くの方が心配しているように、ChatGPTを使用許可した場合、スピーチコンテストが混乱するという心配は、僕は不要だと思います。ChatGPTの利用を許可し、あるいは奨励することは、むしろスピーチの質を高めることにつながり、そして本日の主題ですが、スピーチコンテストにおけるこれまでの大きな格差を解消する可能性もあると思います。
そして冒険は続く。
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【参考資料】
この記事の音声版
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