2008年04月02日

「すごい時代」前夜の語学e-ラーニング

以下はフランス日本語教師会のニューズレター用の原稿で、まだちょっと編集があるかもしれませんが、熱のあるうちに、こちらにも載せておきます。
■ すごい時代が来る!
 e-ラーニングの方向性と可能性ということで私がまず声を大にして叫びたいのは「これから語学教師にとって、すごい時代が来る!」ということです。たとえば日本e-ラーニングコンソーシアム(eLC)という団体が2005年に実施した調査の「e-ラーニングが導入されている分野」では「コンピューター」や「セクハラ防止」などが圧倒的に多く、「語学」は第七位に過ぎません。しかし、「今後、e-ラーニングを実施してほしい分野」では、「語学」が38.8%で、二位だった「経営管理」の28.0%を大きく引き離して一位だったのです(以下、三位が経理・金融・法律などの「ビジネスコンテンツ」で、四位が「趣味・教養」)。
 つまり、e-ラーニングを通じた語学学習のニーズは大量に存在しているのに、現状ではそれが満たされていないのです。では、それを誰が担うのか。もちろん、私たち語学教師です。すごい時代が到来しつつあるとは思いませんか? たまたまこの時代に、語学教師という職業を選択することができたという幸運に、私は今から少なからず興奮しています。

■ それでも人間が必要
 もちろん、中には「自分は淘汰されてしまうのかも」と不安になる人もいるでしょう。しかし、私はそういう心配は必要ないと思っています。なぜなら、e-ラーニングでも、成功のカギになるのはやはり「ヒト」だからです。例えば、松田岳士『eラーニングのためのメンタリング―学習者支援の実践』に詳しいですが、e-ラーニングではドロップアウト率が非常に高く、先駆的な英国のOU(Open university)ですら、修了率は半数を切っているのです。もちろん、これはe-ラーニングが孤独になりがちで、人間的な接触が少ないことが原因でしょう。そのため、「メンター」と呼ばれる学習者を支援する人間の介在が必要になってきます。

■ e-ラーニング時代の新たな職業
 e-ラーニングに関わる人間は、もちろん、メンターだけではありません。前述の日本e-ラーニングコンソーシアムは、書籍『e-ラーニング活用ガイド』の中で、e-ラーニングに関わることになる新しい職業について、以下のように七つに分類しています。
 まず、学習や教育についての知識や経験があり、マネジメントもできる「マネジャー」。校長や教頭にあたるリーダーですね。そして、もっとも中心的な実務者になる「エキスパート」。今の日本語学校なら主任レベルでしょうか。そして「コンサルタント」。コンサルタントは実務者ではなく、むしろ外部から客観的にアドバイスしたりするのが主な仕事です。また、「ラーニングデザイナー」という職業は語学教師の業務のうち、コースデザインだけに特化した職業です。教室での授業は下手でも、どんなコンテンツをどんな順番で教えればいいかをコース全体で考えるのが得意な人などは、e-ラーニングの時代にはラーニングデザイナーになっていくでしょう。一方、コース全体でなく、一課ごとの単位で、どんな例文を提示すれば理解されやすいか、またどんな形態で練習すれば定着しやすいかを考える人は、「コンテンツクリエイター」になります。先ほど紹介したメンターは、eLCの分類では「チューター」として紹介されています。おそらくe-ラーニングの時代に語学教育に関わる人間は、おそらくこのチューターが登竜門となることでしょう。この他の新しい職業としては、e-ラーニングの業界標準である「SCORM」の資格を持った「SCORM技術者」も挙げられています。

■ 次世代のキャリアパス
 こうして考えると、e-ラーニングの時代の一般的なキャリアパスとしては、まず「チューター」(松田のいう「メンター」)として語学教育に関わるようになり、そこで学習者の成長段階がある程度理解できるようになると「コンテンツクリエイター」として一課単位の仕事ができるようになり、次に「ラーニングデザイナー」としてコース全体の設計ができるようになり、さらに教室以外に運営の方にも関わるようになると「エキスパート」を経て「マネジャー」になるという段階が考えられます。多くの現場を見てきた分析力のある人にとっては、「ラーニングデザイナー」から「エキスパート」には進まずに「コンサルタント」になった方が稼ぎはいいかもしれません。
 これが、次世代語学学習業界の、よくあるパターンのキャリアパスになるのではないかと思っています。

■ 本質は自律化
 このように多くの人間が関わるのなら「ではなぜe-ラーニングなのか」という疑問が出てくると思います。人間の手間は全然少なくなっていないじゃないか、という疑問です。しかし、これはe-ラーニングの目的をかなり限定的に捉えている見方だと思います。もちろん、コンテンツとオープンソースの学習管理システム(LMS)だけでも、最低限のe-ラーニング環境は整うでしょう。安くあげたければ、あるいは、学習者がよほど強い動機を持っていれば、それで充分かもしれません。
 しかし、e-ラーニングを実施する意義というのは、「楽をするため」なのでしょうか。あるいは、「人件費を安くあげるため」に過ぎないのでしょうか。そうではないと私は確信を持って断言できます。なぜなら、e-ラーニングの本来の目的は「一斉授業からの脱却」にあると感じているからです。つまり、学習者が自分のペースで、自分のコンテンツを選択しながら学べるのが、e-ラーニングの最大の力なのではないかと思うのです。そう考えると、e-ラーニングを「学習へのITの応用」と考えるよりも、最近の大きな潮流である自律的な学習の一つの形態に過ぎないと捉えることもできます。これこそがe-ラーニングの本質なのではないかと私は感じています。

■ ベトナム語の独習体験から
 さて、話は変わりますが、私は今年の夏からベトナムで仕事をすることが決まっており、現在ベトナム語を独習しています。そこで、教師としてではなく、語学の学習者の一人として現代を観察してみると、ここまで述べてきたこととは違った状況も見えてきます。というのも、もしかしたらインターネット自体が巨大なe-ラーニングシステムなのではないか、と思ってしまうこともよくあるからです。Googleを使えば、ベトナム語のようなマイナーな言語ですら例文は山ほど見つかりますし、オンライン辞書も無料で使うこともできます。日本語とベトナム語の文章単位の機械翻訳はまだ公開されていませんが、すでに開発は進んでいますし、ベトナム語と英語なら、もう機械翻訳ツールも公開されています。また「web問題作成ツール」などのサイトを使えば、自分の学習した語彙や表現を自動的に採点してくれるインタラクティブな問題も作れます。
 つまり、現代ではアナログな方法で何らかの語学をマスターしたことがある人なら、これらの無料ツールを組み合わせて使うだけで、ある程度の語学力を身につけることができてしまうのです。それどころか、東京外大のサイトのように、学習用のコンテンツを無料で公開している機関すらあるのです。ここでは、文法説明、例文とその音声と和訳などがセットで提供されています。
 もちろん、私は語学教育を職業としている人間ですから、こうしたリソースの使い方や価値は一般の人たちよりも理解しやすいという背景はあります。しかし、少なくともインターネット時代以前は、このようなリソースに手が届くこと自体が考えられなかったのことは留意しておく必要があります。また、これらのリソースをさらに効率的に使いこなすためのツールやノウハウも、どんどんネット上に公開されています。
 例えば、私がブログで公開している「がんくつロボ」というエクセルテンプレートでは、たった一枚の語彙表を作るだけで、13種類、17ページの練習問題プリントが自動生成されますし、「あなうめ忍者の分身の術」というツールを使えば、同じ語彙表から6種類のインタラクティブな自動採点機能付きの問題が作成できます(前述のweb問題作成ツールを利用します)。そして、一枚の語彙表を作るだけなら、普通の学習者でも、それほど苦もなくできてしまうのです。

■ 無料の高速道路と有料の抜け道
 この状況は、将棋の世界では羽生善治さんの「高速道路と大渋滞」論として有名です(梅田望夫さんが『ウェブ進化論』などで紹介しています)。つまり、ネット上のリソースを活用するだけで、まるで高速道路上を疾走するかのように学習課程を駆け抜け、以前なら信じられないようなスピードで特定の能力を身につけることができるのです。将棋の世界では里美香奈さんという1992年生まれの少女がその例として知られていますし、私たち日本語教師なら海外のアニメオタク(その多くは日本語を正式に学習した経験がない)の流暢な日本語に驚かされる経験も最近では少なくないでしょう。しかし羽生氏によれば、その高速道路はプロになれる一歩手前で途切れており、そこで起きている大渋滞から一歩出るのは簡単ではない、というのです。
 考えてみれば当然です。ネットには誰でもアクセスできるのですから、やる気さえあれば、もはや誰でも高速道路上を疾走することができ、逆にいうと、それだけでは何の差別化もできないのです。
 これは、ネットの限界を示している一方で、しかし我々語学教師にとっては新たな商機の訪れをも示していると言えます。なぜなら、無料の高速道路の最後に待ちかまえている大渋滞から脱出するためには、やはり有料の抜け道が便利だからです。身近な例に言い換えると、一般的な日本語だけを学ぶなら、もう高速道路はほとんどできてしまっています。しかし、例えば「決算書が読める日本語」「システム開発の仕様書が読める日本語」を身につけるには、まだまだ有料のe-ラーニング環境や教科書、教室でのレッスンなどのいずれかを選ぶ必要があります。もちろん、こういった内容もやがてコモディティ化し、無料の高速道路の一部になるでしょう。しかし、コモディティ化したその先にはやはり大渋滞が起きてしまうのです。そこまでは誰もが通れるのですから、これは宿命としかいいようがありません。しかし、大渋滞があるということは、そこにまた新たな商機が生み出され続けるのです。
 何年か経って振り返ってみると、その後には、こうして際限なく細分化された高速道路が残されているでしょう。そして、今までのネットの進化として、その根っこの部分は既に現実になっています。
 そして、ここでまた冒頭に戻るのですが、これこそ本当の意味で「すごい時代」の幕開けなのではないでしょうか。私たち語学教師の一人一人が苦心しながら作ってきた教材プリントの一枚一枚。今まではそれが使い捨てられてきたわけですが、そういった貴重なコンテンツがネットで共有されるようになり、そしてそれが無料の学習高速道路となり、その上を学習者たちが風を切って駆け抜けるようになるのです。
 私たちはまさに「すごい時代」の前夜にいるのです。そして、その「すごい時代」を創るのは、私たち一人一人なのです。いま私は、この時代に生まれた幸運を皆さんと祝福しあいたい気持ちで一杯です。

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