2008年01月11日

ナマハゲは児童虐待か。

 今日は読解の意見文の時間にナマハゲを扱いました。ニュース動画を見ていて、「これって児童虐待じゃね?」と疑問に思ったのがきっかけです。それでネットを「ナマハゲ 虐待」で検索したところ、見つかったのがこちらです。http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2007/01/post_240.html
 ここは本文はともかく、コメント欄で現地の人たちも書き込んでいて、おもしろいですよ。ここを読んでいて初めて知ったのが、これは家族が困るストーリーなのではなく、さらわれそうになる子どもを家族で守るストーリーなのだということでした。上記リンクの「土手」さんという方の書き込みは、非常に参考になりました(「投稿者 土手 : 2007年01月04日 07:22 」の部分は特に感動的です)。

ここのコメント欄でほぼ議論は出尽くしているようにも思えたのですが、「トラウマになったという証言がない」という点について「本当にトラウマになっていたら自発的に発言したりしないのではないか」という視点を独自に加えて、配布したプリントが以下のとおりです。
 毎年大晦日になると、テレビのニュースでナマハゲの映像が放映され、決まって「児童虐待だ!」と批判する人が出てきます。しかしこれは決して児童虐待などではなく、むしろ教育的な効果のある行事です。私はこの伝統に対する多くの誤解を解きたいと思っています。
 もっとも大きな誤解は、「ナマハゲは勝手に家に入ってくる」というものです。しかし本当は、行くか行かないかをそれぞれの家に前もって質問しておいて、来てほしいという家にだけ行っているのです。その家の子供のどんな点を叱ってほしいかも質問しています。
 また、父親がナマハゲから子供を守る行事なのだということも理解されていません。テレビでは子供が連れて行かれそうになって泣き叫ぶところだけ放映されることが多いですが、本当はその後、子供の父親がナマハゲを引き留めて子供を返してもらうのです。つまり、ナマハゲは児童虐待の正反対で、家族の大切さを教える行事なのです。
 子供を怖がらせるのがよくないという批判もありますが、ナマハゲは暴力をふるうことはありません。体罰ではないのです。大きな声を出したり、子供を抱えて外に出ようとはしますが、一年に一度だけこの程度の躾をするのは、今の荒れた社会には必要なのではないでしょうか。同じように子供を怖がらせる例は、英語圏のブギーマン(boogeyman)やスペイン語圏のエルクコ(El Cuco)などがあり、どれも伝統的に子供の躾に役立ってきました。 
 この行事が虐待ではない証拠に、インターネットの掲示板などで「児童虐待だ」と言われても、現地の人から「自分はナマハゲがトラウマになった」という証言が出たことなどないではありませんか。ナマハゲに泣かされた子供たちは、成長してナマハゲを卒業していき、この伝統行事に愛着や誇りを持つようになるのです。外部の人がよく知らないままに批判することではありません。
 いろいろ誤解の多いナマハゲですが、これからもずっと伝統として大切にしてほしいと思っています。

 毎年大晦日になると、テレビのニュースでナマハゲの映像が放映されます。これは秋田県男鹿半島の伝統行事で、鬼の面をかぶり、ミノを着て、包丁を持ったナマハゲが、大きな声を出して子供たちを襲うのです。ナマハゲは「泣く子はいないか」「親の面倒を見ない嫁はいないか」などと言うそうです。私はこんな恐ろしい行事がなぜ今でも行われているのか、理解できません。
 まず第一に、これは虐待で、人権侵害です。八歳ぐらいの子供たちは、「また来た!」と楽しみながら逃げていますが、三歳や四歳ぐらいの子供は本当におびえて泣き叫んでいます。夜中に怖い夢を見たり引きつけをおこしたりしてしまうのではないでしょうか。いくら親でも、子供をこんな目に遭わせる権利はありません。
 また、大人になった後にもトラウマになってしまう可能性もあります。一度トラウマができてしまうと、その影響はその後もずっと長く続きますから、小さい子供だからと言って泣かせていいはずがありません。
 「ナマハゲがトラウマになったという人の証言がない」と批判する人もいますが、これは何のトラウマも持っていない人の間違った考えです。深刻なトラウマを持っている人は、その原因になった経験について見たり聞いたりするのもイヤなのです。ましてや、自発的に「トラウマになりました」なんて証言する人がいなくても、何の不思議もありません。伝統を守りたい人から攻撃されて、さらに傷ついてしまうからです。
 第三に、政治的な問題もあります。ナマハゲは子供や嫁などの弱い立場の者だけを狙うのです。どんな理不尽でも権威には服従するということを教える側面がここにあることに、私たちは注意しなければなりません。言うまでもなく、これは自由で民主的な社会を建設するには適切ではありません。
 このように多くの問題を抱えているのですから、たとえ伝統的な行事であっても、ナマハゲを見せる場所は観光施設や神社などに制限するべきだと私は思います。

実際に配ったのはルビを振ったバージョンで、こちらにあります。
http://www.scribd.com/doc/985302/12
内容確認のための正誤判定問題もあります。
正誤判定
○=正しい(書いてある) 
×=正しくない(そうではないと書いてある) 
△=書かれていない
ナマハゲは児童虐待である。
実際にナマハゲでトラウマになったという証言がある。
ナマハゲは体罰を与える。
ナマハゲは勝手に家に入ってくる。
家族はナマハゲから子供を守る。
小さい子供は本当に怖がるが、少し大きくなると怖がらなくなる。
ナマハゲは政治的にも問題がある。
ナマハゲに似た伝統は外国にもある。

教材では、話し合いに持ち込むためにオープンエンドな形になっていますが、私自身は虐待だと批判するつもりにはなれません。精神分析や発達行動学を専門にしている研究者も、たとえば以下のように肯定的に捉えているようです。
子の生理的欲求、安全欲求がある程度充足されるようになると、所属・愛情欲求が自然に発現する。第一義的には条件母性反射が成立している母親がその対象である。この段階では、母親との関係が子にとっての「ウチ」であり、他は「ソト」である。母親が好きなものには自分も関心を示すようになり、父や同胞なども「ウチ」として取り込んでいく。躾などにおいて、「そんな事をしたらお父さんに言いつけますよ!」といったことが頻繁に起こると、父親が子の「ウチ」に取り込まれるのは遅れてしまうようである。「ソト」として利用されるのは、おまわりさんなどは一般的であるが、地域によっては悪いことに対する罰を与える存在のものが色々あるようだ。秋田県の「なまはげ」などは良い例ではなかろうか。
http://red.ap.teacup.com/matayan/57.html
第一報告者の根ヶ山光一氏(早稲田大学)は、発達行動学の視点から、子育てとは子が社会的に自律していけるように促す「子別れ」の過程であると主張した。根ヶ山氏の実証研究によれば、離乳とともに、母子は身体的な面で両者の他者性が強まり、子の成長とともに、母親の子の身体生産物(よだれや大便)に対する親の嫌悪感が強まる。また、時間とともに、子と母親との関係に、他者性が強まっていくという。空間的な面では、霊長類における子育ての種による違いという観点から、ヒトの子育ての特徴は「離れつつ守る」ことにあるという主張がなされた。そこにみられる親子の反発性や他者性の発露には、積極的な意味があること、家族が地域との相互関連性(なまはげや、保育園の事例)をもつことで子の自立を促す解放系であることが強調された。
http://www.waseda.jp/assoc-wss/news_30_2007_9.pdf


授業の際に「むらかみ先生は怖かったですか」と聞かれたのが印象的でした。やっぱり、こういう授業をすると「秋田県の伝統行事」と書いてあっても「日本人はこうやって育つのだ」と思われやすいんですねえ。

1/15追記
練習ソフトも作りました。
03namahage.htm
03namahage02.htm
03namahage03.htm

posted by 村上吉文 at 18:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
私達、最近の日本人は“児童虐待”ってワードに思考停止してるように感じますねw


部族社会であり縦社会である日本は、つい最近まで子供を殴ったり蹴ったり半殺しの状態にする事が縦社会の厳しさを教育する為の手段とされてきましたので、“虐待”こそが日本の伝統的な教育方式であり、今でも職人の世界や体育会では行われております。

ですから日本人にイジメや輪姦の問題を話しても「“教育”だからねぇ〜・・・」でおしまいだと思います。

宗教と言っても過言ではありませんので 難しい問題だと思います。
Posted by 自己愛星人☆ at 2011年05月05日 12:14
連投&自説
スミマセン。
ですから縦社会を駆け上がった方なんかは折角手に入れた“既得権”を手放したく無いので不正に走る事になります。

今に始まった事ではなく歴史的、伝統的にそうです。

日本だけでは無く、アメリカの格差社会やアフリカの部族社会、中国や朝鮮でも生まれつき立場の強い人間による一方的な暴力によって社会を成り立たせてますので嘘つきで残忍な人間程、出世できるのが人間社会のデフォルトなのかも知れませんね。

・・・コレらの事象に比べたら「“秋田のナマハゲ”なんて可愛いものですねっ☆」てまとめる予定でしたが愚痴になってしまいました

(^_^;)
Posted by 自己愛星人☆ at 2011年05月05日 12:36
潜在意識に何を植え付けるかという点で害悪に思う。
伝統ではあるがこの躾は極めて閉鎖的な小さな集落内において有効な手段であり。各々が自信を持って個を立たせて生きていかなければならない現代日本において全く効果的とは思えない。意識下に不条理な恐怖心を抱く人間が未知の問題に対し恐怖心を振り払い勇気を持って行動できるのか?大いに疑問である。
Posted by ウホウホゴリラ at 2016年02月27日 10:56
体罰があるかないかに関わらず、被害者が苦しんでいるかどうかというところが何より大事なはずなのですが・・・


外側からの基準が絶対で、一番大事な被害者側の思いや気持ちは全く二の次で尊重外であるというところがつくづく暴力的だなと感じます。


大声を出したり連れ出そうとしたりするだけで暴力はない?
自分の背の丈の倍以上ある怪物に威嚇されて連れて行かれること以上の暴力があるでしょうか?


自分の視点からしか物事を見れない、子供以上に子供な大人がなまはげ文化を肯定し、また新たな「子供大人」を作り上げてているんだなとつくづく感じさせられます。


心理学的にも、実例的にも、恐怖を植え付けてコントロールすることは多大な損害と障害を残すことは明らかなのですが・・・


こういった手段を正当化する人間がまだまだ多いのでは、この先当分戦争など争いごとはなくならないでしょうね。
Posted by MEW at 2017年03月15日 08:05
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