2024年10月16日

棲み分けのためにAIを使おう

冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて、教師が AI を使う一番のメリットは、AI の苦手なところがわかってくるところかもしれませんね。

確かに、AI を使うことで、僕たちの学び自体を効率化できるというメリットはたくさんあります。
そして、そこから得られた知見を教室での学習者の学びに応用できるというメリットも確かにあるでしょう。

でも、もしかしたら一番大切なのは、AI と人間の教師の「棲み分け」の基準がわかるということかもしれません。
というのも、AI に任せてしまえるところは任せてしまって、それ以外のところに人間の教師はフォーカスすべきだと思うんです。
そのためにも、人間の教師は AI を使った方がいいんじゃないでしょうか。
AI にもできることをやっている人間の教師と、AI にはできないことにフォーカスしている人間の教師、
はたしてどちらが生き残れるのでしょうか?

一方で、僕は人間の先生からもラオス語を勉強しています。
その体験から、人間の教師の役割として学べることも多いと感じています。
例えば、「そんなこと、今の僕のレベルでできるわけないでしょ」というような課題を出されても、
実際にやってみると、なんとかクリアできたりすることもあるんです。
AI との学びでは、完全に自分が主導権を握っているので、こういうことは起こりえないですよね。

また、「先生に褒められたい」と思うことはあっても、「AIに褒められたい」と僕は思わないんですよね。
もちろん逆に「先生に叱られたくない」と思うこともありますが、AIは僕を叱ったりすることはないし、仮に叱られたとしてもぜんぜんダメージないです。だって、悪いけど、ただの機械なので。

そう考えると、大事なのは人間と AI で仕事を奪い合うことではなくて、棲み分けすることだと思うんですよね。
お互いの得意な分野と苦手な分野を知るためにも、教師は自分の学びにおいて AI をたくさん使うべきではないでしょうか。

そして、冒険は続く。

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なお、このブログはクリエイティブ・コモンズCC-BYで公開しています。
この記事の内容は村上が確認していますが、文章自体はAIが作成しています。
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posted by 村上吉文 at 10:56 | TrackBack(0) | 人工知能と日本語教師 | このエントリーをはてなブックマークに追加

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