2019年11月01日

「ICTに頼るのは未熟」というベテラン教師が理解していない2つの視点

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて、教育関係者の間で定期的に耳に入る言説の中に「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」というのがあります。今年の3月11日にも、似たような発言に対する批判を書きました。時には有名な大学の有名な先生がそんなことを言ったりすることもあります。まあ、悪気はないのだろうと思いますが、そういう先生方には見えていないことが少なくとも2つはあると思いますので、今日はその2つについて書いてみたいと思います。

教育観のアップグレードは難しく、ダウングレードは簡単
僕自身もいろいろな環境で働いてきました。ベルリンの壁崩壊直後の旧共産圏の国では、電気はもちろん、紙やチョークですら安定的な供給がありませんでした。教科書も学習者の全員には配れなかったので、僕が読み上げるのを書き取ってもらって、一人一人のノートを僕が確認したりしていました。言うまでもなく非常に非効率です。しかし、効率は急激に落ちますが、その場になれば何とかなります。簡単に言うと、教育観や仕事の質をダウングレードするのはそれほど難しくないのです。

実際、「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」と主張される先生方も、僕のように食料が配給制の社会で暮らしたことがある人はほとんどいません。そういう先生方は環境に合わせて仕事のレベルを落とすことがそれほど難しくないことを身を持って知っているとはいえないでしょう。ですから、そうした誤解を前提に、仕事の質の低い方に合わせておく必要はありません。

つまり、養成講座などで実習をするときは、わざわざネットなどのICTが使えない状況を想定する必要はありません。むしろ、こうした普及しているレベルのICTは積極的に使って、普通の環境でどんなことが可能なのかを考え、体験してみるべきです。

もしこれが「普及していない最先端の技術」だったら、まあ確かにそれがなくても授業ができることが望ましいですよね。僕は最近VRの教育現場における利用についてよく話していて、先日もビクトリア市でプレゼンを行ってきたのですが、これについては「VRも使えない環境では教えられない」などと言うのが時期尚早であるのは認めます。なぜならVRゴーグルを常備している教育機関はまだそれほど多くないからです。少なくとも常備しているのが当然だと言えるほどには普及していません。学習者もまだVRを体験したことがあるのは一割ぐらいかもしれません。

でも、インターネットの利用はもうそんな段階ではありませんよね。今のほとんどの学習者にとっては紙やチョークと同じように自分が生まれる前から社会に存在していて、今では満遍なく普及しているものなのに、僕の世代の教育者は、それが存在しないことを前提に教育を受けてきました。このジェネレーションギャップに基づいて、上の世代が今の世代を指導してしまうのは本当に大きな問題です。上の世代から学べることもたくさんあるかとは思いますが、この点については、今の世代はむしろ上の世代の人からは学ばないほうがいいでしょう。

考えても見てください。ネットのない時代に育った僕たちと同じ人生を、僕たちの学習者も過ごすのでしょうか。彼らがこれから生きる時代は、ネットがないポスト・アポカリプスな世界なのでしょうか。ネットがないかもしれない世界に備える必要性がどれほどあるのでしょう。もしかしてある日突然、隣の人がゾンビになって人を襲い始めるのでしょうか。

現状でも、職員室からインターネットにアクセスできない学校などほとんどないでしょう。また携帯を持っていない学習者もどの程度いるのでしょうか。繰り返しますが、2019年の時点で日本語教師になる勉強をしている人は、ネットが使えないことを前提にした環境に合わせてはいけません。ネットが使えないときがあっても、すぐに対応できますから、心配はいりません。

ネットは効率がいいだけではない
もう一つ、「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」というような主張をされる先生方が誤解していることは、ネットなどのICTは従来の授業の方法を効率化するものだという考えです。繰り返しますが、これは誤解です。端的に言うと、こうした誤解こそがまさに前の節で書いたように教育観のアップグレードをするのは難しいというわかりやすい事例なのです。

もっとも、ICTは確かに授業を効率化してきました。手書きのレポートを書き上げるよりもキーボードで書いたほうが速いでしょうし、音声入力ならキーボードよりも更に三倍ぐらい速く文書を作ることができます。紙のレポートなら先生の部屋に提出に行ったり、授業中に先生に渡したりしなければなりません。欠席したら提出すらできません。電子データならLMSやメールで自宅から提出もできますよね。ずっと効率的です。

しかし、それは質的な違いではありません。そして、こうした質的な違いではない部分しか知らないベテランの先生方が「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」と主張されているのです。手書きで作文を書いて先生に提出するのも、パソコンで作文を書いて提出するのも、効率以外にはあまり質的な違いはないからです。

僕のブログでは何度も言及していますが、こうしたアナログでもできることをそっくりそのまま電子的に再現するだけの教育活動は、若い世代の教員から「1000ドルの鉛筆」と揶揄されています。まあ、僕はこの段階を超えるにはそれも仕方がないとは思うので、鉛筆でできることを1000ドルのパソコンで再現するだけでも鉛筆よりはいいのではないかと思うのですが、実際にはICT にはそれ以上の効果があります。

たとえば、せっかくICTが使えるのなら、作文をパソコンで書いて原稿用紙に合わせてプリントして紙で提出するのではなく、TwitterやInstagramやLINEに書きましょう。多くの人が読んでコメントしてくれますし、仮に反応がなかったとしても、それも一つのフィードバックです。こうした教室の壁を超える体験は、原稿用紙をちまちまと埋めるのとは全く違う体験ですし、教室内で作文を共有するよりも遥かに高い教育効果があることが多くの研究で実証されています。

もう一つの例を挙げてみましょう。日本語教師の皆さんだったら Twitter で毎月第4土曜日に行われる日本語教師チャットをご存じの方も多いでしょう。 前回の日本語教師チャットにはドイツ在住の日本語教師の方がモデレートされ、17カ国から68名の方が参加して、宿題のあり方について議論しました。参加者の中にはベテランの方もいらっしゃれば日本語教師志望者の方もいらっしゃいます。つまり、養成講座に通っていても、インターネットなどを使えばこのようなオンラインの勉強会に無料で参加することができるのです。インターネットを使わなければ、養成講座の教室の中で未経験の人同士で意見交換するしかありません。 これが単なる効率性の違いだけではなく、全く質的に異なる体験であることは誰でも理解いただけるのではないかと思います。

ICTを使うメリットは効率の良さではないのです。質的に全く違う教育活動を行うことができるのです。そしてそのためには、アップグレードされた教育観を養っていなければなりません。ダウングレードされた教育観を基準にしてはいけないのです。

しつこいけど、教育観のダウングレードは簡単で、アップグレードは難しい
最初に書いたように、こういう教育活動に慣れた教師がネットの使えない環境に置かれたとしても、それはそれほど大きな問題ではありません。代わりに原稿用紙を使って、紙で作文の授業をすればいいだけですから。もちろん、ネットを使った授業とは本質的に違うダウングレードされた授業になりますが、それができないなんてことはありません。仕事の質を落とすのなんて、ストレスにはなりますが、実現可能性としては全く問題はありません。

しかし、教育観をアップグレードするのはそれほど簡単ではありません。今まで原稿用紙しか使ってなかった先生がいきなりInstagaramを使った授業ができるでしょうか。アプリの操作はできなくてもいいとは思いますが、リスクテイキングなど、教師として責任を追わなければならない判断ができないことばかりだと思います。

教育観をダウングレードするのは簡単ですが、アップグレードするのはむずかしいので、教師指導に当たる人は、つねにアップグレードされた教育観を目指して教員指導を行わなければなりません。

しかし、残念なことに「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」と主張される先生方ご自身が、このようなアップグレードされた教育観をお持ちではないのです。本質的に違うということが理解できていないから、このような残念な発言になってしまうのでしょう。「1000ドルの鉛筆」のような使い方しかご存じないから、「どうせ鉛筆なら10円の鉛筆でいいじゃん」という主張になってしまうのです。

つまり、「10円でできることに1000ドル払わなくていい」というのが「ネットなどのICTに頼るのは未熟な教師だ」という主張なのです。だったら1000ドル分の使い方を学んでください。そうすれば、このような指導はなくなることでしょう。

インターネット元年と言われた1995年から来年でもう四半世紀です。2019年にふさわしい教員指導が行われることを切に祈っております。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
むらログ: 「1000ドルの鉛筆」から脱却するための3つの視点 2018年4月8日
http://mongolia.seesaa.net/article/458668293.html

むらログ: ICTは教育にとって手段に過ぎない・・・のか?  2019年3月11日
http://mongolia.seesaa.net/article/464566852.html

むらログ: 1000ドルの鉛筆の先に見えてくるもの「SAMRモデル」  2019年3月26日
http://mongolia.seesaa.net/article/464828301.html

第23回 #日本語教師チャット 「宿題のあり方について」 Togetter https://togetter.com/li/1422614

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posted by 村上吉文 at 21:02 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加