2019年09月23日

勉強する理由を客観的な根拠で主張しよう

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




冒険家の皆さん、今日もオールドタウンのビルの屋上にロボリレーを設置してウィルスに感染したロボットを無効化していますか?

さて、最近、特に文系の科目に対する風当たりが強いようですが、それに対する反論があまりにも説得力がないので、今日はその点について書いてみたいと思います。

勉強する意義を説明しない日本の教育

カナダに来てから日本とは違うなと思ったことはいくつもありますが、その中の一つに、どのような学校にも、何らかの科目を勉強する意味が説明されているポスターが必ずあるという点があります。

例えば以下のリンクは「”why study” poster」というキーワードで Google を画像検索したところです。つまり、それぞれの科目をどうして勉強するか説明するポスターです。中には Amazon のものもありますから、これを買って学校内などに掲示する先生も多いのでしょう。
https://www.google.com/search?q=%E2%80%9Dwhy+study%E2%80%9D+poster&newwindow=1&rlz=1CAOTWH_enCA793CA793&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiit7iYpKzkAhWLvJ4KHZEiDnQQ_AUIESgB&biw=1200&bih=697

一方でこうしたポスターが日本の学校で掲示されているかと言うと、そういったことはほとんどないようです。 僕が Twitter で質問してみたところ、90%の方が「見たことない」と回答しました。
https://twitter.com/Midogonpapa/status/1167661523818438656

実際に、 以下ではどうして物理を教えているのか分かっていないような先生が出てきます。生徒たちもどうして勉強しているのかが分かっていないようです。
https://twitter.com/7_color_world/status/997251847113981953

また、以下のリンクは歴史学が崩壊すると懸念しているツイートです。僕はこれに対して「歴史を勉強する意義を広く世間に訴えることだと思う」とコメントしましたが、全く反応はありませんでした。もしかしたらそんなことを考えたことすらないのかもしれません。
https://twitter.com/KuribayashiS/status/1164939085577883648

昨日はこんな投稿にコメントもしたのですが、やっぱり何の反応もありません。
https://twitter.com/dorafan2112gma1/status/1175925321331134464

これらのことから、カナダなどの英語圏ではその科目を勉強するべき意義が説明されている一方で、日本では説明されていないという違いがあるということは言えそうです。

こうした違いの背景には、日本の教育は上意下達的で、児童や生徒の同意を必要としないという構造ははっきり見て取れるのではないかと思います。そしてさらにその後ろには、カナダなどではホームスクーリングやフリースクールなどの公教育以外の選択肢が多く存在し、さらに公教育自体でも同じ学区内に選択可能な複数の学校があって、学校側も選ばれる立場であるという違いがありそうです。一方、日本では教育委員会が一つの学校を指定してきて、生徒の側には全く選択権はありません。私立に通えない地域や経済状況の家庭にとっては、学校をやめるか、指定された学校に行くかの2つしか選択肢はないのです。したがって教師は児童や生徒に対して絶大な権力を振るうことができ、その結果、なぜ勉強するのか説明する必要もないのです。

このように考えてみると、技能実習制度で海外から来た労働者に転職の自由がなく、雇用主はセクハラもパワハラもやりたい放題にでき、労働者には莫大な借金を抱えたまま仕事を辞めて帰国するか、セクハラやパワハラを耐え忍ぶかの2つの選択肢しかないという状況と、日本の教育制度は非常に多くの共通点があるということがわかります。日本の教育制度の場合は、あてがわれた教師に問題があった場合、児童や生徒は学校教育制度そのものから逃げ出すか、その問題のある教師からダメージを受け続けるしかないわけです。もちろん、まともな教師や雇用主も普通に存在するのですが、そのような絶大な権力を悪用することができる構造があるという意味で両者は共通しています。

そしてこのように勉強する意味を説明する必要がないという社会構造が、次に述べるもう一つの大きな問題を引き起こしています。特定の科目が潰されそうになっても、教師の側が説得力のある反論ができないという問題です。

全く説得力がない理由

日本では勉強する意義を説明しなくてもいいということをここまで書いてきましたが、実は全く例がないわけでもありません。ただし、残念なことにそれは全く説得力がないのです。ここにも大きな違いがあります。

まず、先程ご紹介したポスターを説明してみたいと思います。これらのポスターを見るとよく分かるのですが、その科目を勉強する理由として、非常に客観的な研究結果などが引用されています。その一つを以下にご紹介しましょう。 「5 Reasons Everyone Should Know at Least Two Languages」、つまり「誰もが少なくとも二つの言葉を知っていなければならない五つの理由」というポスターです。

Here are just a few (totally objective) reasons why:

Students who study a world language for just one year score an average of 38 points higher on the SATs. (Even cooler: Students who took four years of a world language showed scores that were more than a hundred points higher on average.)
Do you ever find it hard to do two things at once? The National Institutes of Health discovered that people who speak more than one language are much better at multitasking, which means walking on your hands while chewing gum should be a breeze.
According to an MIT study, people who know two or more languages earn an average of $128,000 more in their lifetimes.
People who know two languages are nicer. 2012: The year that researchers at the University of Cambridge discovered that people who know two languages are nicer. According to the research, bilingual folks are better able to tolerate differences and find solutions to conflict.
Eight hundred thirty-five 11-year-olds were tested on their cognitive ability in Scotland in 1947. Between 2008 and 2010, those same people were retested when they were in their seventies. Of the 835 case studies, 260 knew at least two languages. Those 260 people tested significantly higher in cognitive function than their solely English-speaking peers.
https://www.middleburyinteractive.com/digital-courses/world-language-learning/school-solutions/classroom-resources/classroom-poster-5

(私訳)(完全に客観的な)幾つかの理由があります。

世界の言語(要するに外国語のこと)をたった一年間勉強しただけでも、その生徒は、SATで平均38点高い得点を取ります。(さらにクールなのは、世界の言語を4年間学んだ学生は、平均して100ポイント以上高いスコアを示したことです。)
一度に二つのことをするのが難しいと思うことがありますか。米国立衛生研究所は、複数の言語を話す人はマルチタスクが得意であることを発見しました。
マサチューセッツ工科大学の研究によると、複数の言語を知っている人は、生涯で平均128,000ドル多く稼ぐそうです。
二つの言語を知っている人はそうでない人より親切です。2012年はケンブリッジ大学の研究者が、二つの言語を知っている人の方が親切であることを発見した年です。この研究によると、バイリンガルの人々は違いを許容し、紛争の解決策を見つけることができるようになっています。
1947年に11歳の835人がスコットランドで認知能力テストを受けました。2008年から2010年の間に同じ人たちが70代の時にもう一度テストを受けました。その835人のうち、260人は少なくとも二つの言語を知っていました。この260人の被験者は、英語のみを話す残りの被験者よりも認知機能が有意に高かったです。


リンク先を見ていただければわかりますが、文中からそれぞれの研究結果へとさらにリンクが張られていて、疑問に思った人は検証することができるようになっています。

その一方で、日本では大手新聞社の社説ですら、全く客観的な根拠を示そうとしていません。例えばつい先週、9月15日に毎日新聞は社説で文学の授業が国語の科目の中からなくなろうとしているとして、「変わる高校の国語 文学が軽んじられる恐れ」という社説を書きました。この傾向に反対する理由として以下のように書かれています。
文学は人間の存在と密接にかかわる。多感な時期に、教科書で出合った文学作品が呼び水となり、人生の新しい扉を開くきっかけになることもある。教科書から文学作品が少なくなることで、その機会も減ることになりはしまいか。

 法令やガイドラインの文言を正しく理解し、的確な言葉で他者と相互理解を図ることが大切なのはもちろんだ。しかし、論理だけでは測れないことは世の中にはたくさんある。

 会話や文章の行間を読み取り、他者の立場を想像することが、人間社会を豊かにし、コミュニケーションを円滑にする。それこそ、文学によって養われる力ではないだろうか。

 国語教育は、文化の根幹そのものだ。教育現場だけではなく、社会全体で考えていくことが必要だ。
https://mainichi.jp/articles/20190915/ddm/005/070/035000c


この社説の問題点は、客観的な根拠が全くないために、説得力がないということです。「文学は人間の存在と密接にかかわる。」という部分から、「いや関わらない」と反論することは可能です。そして実際に、文学を削ろうとする人はそのように主張するでしょう。最初から最後まで全く客観的な根拠が示されないので、信じたくても信じようがありません。 (ちなみにこういう何の根拠も示されていない主張を「大手新聞の社説だから」という理由だけで信じてしまう人は、自分のメディアリテラシーを根本的な所から考え直した方がいいと思います)

また、例えばもう3年前になってしまいますが、 大阪大学の文学部の学部長が「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったとき」という式辞を卒業式で述べたことがあります。多くの文系の人が「よくぞ言ってくれた!」というような反応をしていましたが、やはり何の根拠もなかったので、例えば「理系の人の方が人生の岐路に立った時に迷ってしまうのか」というような反論に対しては、まったく説得力を持ちませんでした。僕も個人的には文系の人のほうが情緒的な判断に陥ってしまうような傾向があるように思っています。

もし文系の科目が少しでも危機感を持っているのなら、もう少し客観的な根拠を示してはいかがでしょうか。上でご紹介したような「バイリンガルの方が違いを許容できる」というような調査だったら、 それほど難しくないのではないかと思います。 歴史を勉強した人はそうでない人よりもどのような点で有利なのか、文学を勉強した人はそうでない人よりも優れている部分はあるのか、こうしたことを客観的に証明できる説明が必要なのです。お金儲けではなくてもいいのです。また、短期的に役に立つかどうかということでなくてもいいのです。しかし、税金を投じて、生徒や児童の時間も大量に使う以上、何の役にも立たないかもしれないことを教えるわけにはいきません。

例えば義務教育の9年間をかけて「死んだふり」を勉強するとしたらどうでしょう。多くの人がそれは役に立たないから教えるべきではないと答えるでしょう。また、メディアリテラシーや、労働者の権利など、どう考えても今の義務教育では足りていないことを文学の代わりに教えるべきだという主張に対しても、役に立つかどうかも分からない科目では反論できないでしょう。そして実際に、僕自身も、役に立つかどうかわからないのなら、少なくとも義務教育の段階ではもっと他に教えるべきものがあると強く思っています。 (大学などでは役に立たないかもしれないことでも本人の責任において勉強することはいいことだと思っていますし、そのような多様性は確保しておかなければならないでしょう)

僕自身は、上にもご紹介したように、自分の専門である外国語を勉強する必要性などはいくらでも客観的な根拠を出して主張することができます。 ただ、他の危機に瀕している文系の科目については、やはりそれぞれの専門の人に主張してほしいのです。例えば僕は歴史の勉強なども同じように非常に重要だと思っています。なぜなら 戦争の悲惨さなどを知らないと、簡単に勇ましい戦争に突き進んでしまいそうだからです。しかし、残念なことに今日もご紹介したように、歴史学が滅んでしまうという懸念を抱いていて、「どうしたらいいのだろう」と焦っている人たち自身は、全く客観的な根拠を出して主張してくれません。「ひどい」とか「悲しい」とかいう情緒的な主張だけではなく、理性的に相手を説得することのできる主張が今は必要とされているのではないかと思います。

そして冒険は続く。

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【参考資料】
「”why study” poster」で画像検索したところ。
https://google.com/search?q=%E2%80%9Dwhy+study%E2%80%9D+poster&newwindow=1&rlz=1CAOTWH_enCA793CA793&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiit7iYpKzkAhWLvJ4KHZEiDnQQ_AUIESgB&biw=1200&bih=697
https://twitter.com/midogonpapa/status/1167661523818438656?s=12

Classroom Poster: 5 Reasons Everyone Should Know at Least Two Languages | Middlebury Interactive Languages https://www.middleburyinteractive.com/digital-courses/world-language-learning/school-solutions/classroom-resources/classroom-poster-5

社説:変わる高校の国語 文学が軽んじられる恐れ - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190915/ddm/005/070/035000c


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posted by 村上吉文 at 21:27 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加