2007年07月07日

母国語か母語か。話者の無自覚について

田中克彦さんを始め、多くの方が「母国語」という表現について「無自覚すぎる。安易に使うな」という旨のことを書いていらっしゃいますが、それもちょっと無自覚な問題を抱えているように思われるのでコメント。

まず、田中さんたちのおっしゃる主張に概ね異論がないことは最初にお断りしておきます。確かに日本語を第一言語とする人の中には、日本国籍を持っていない人も多くいます。だから、そういう人にとっては日本語は母国の言葉ではないわけで、何らかの配慮をしようというのはもちろん理解できます。

しかし、だったらなぜ、普通に「第一言語」と言わないのか、私にはよく分かりません。長いからかなあ。

私が「母国語なんて無自覚に言うな。母語と言え」という主張に反発を覚えるのは、たぶん、私が普通の父親よりも育児を負担している割合が多いからでしょう。今ではだいぶ妻の割合が増えてきて、仕事に割ける時間もある程度は確保できるようになってきましたが。

で、うちの娘を見ていると、「あのなあ」「いいか?」「いいこと教えてやる」など、明らかに父親である私の言い方をそのまま再現していることがよくあります。つまり、うちの娘の日本語は母語でもあり父語でもあるわけです。

ちなみに、「わが国の周産期センターにおける妊産婦死亡の分析」という資料から概算すると、年間百人ぐらいは産婦死亡の状態で新生児が生きて出産されることが分かります。この子たちは、生まれながらにして母親がいないのです。この子たちにとって、田中さんたちの主張はちょっと残酷ではないんでしょうか。

また、財団法人統計情報研究開発センター発行の「ESTRELA」平成19 年3 月号に掲載された総務省統計研修所研究官室の西文彦、菅まりさんの「シングル・ファーザーの最近の状況」という資料によると、「子と同居で配偶者のいない男性」、つまり、いわゆるシングルファーザーは20万3千人もいるとのことです。

wikipediaの資料によると、在日コリアンの男性が30万人だそうです。子育て中の人に限定すると、シングルファーザーの20万人の方が多いかもしれないぐらいの数ですよね。少なくとも、「日本語=母国語」に反発を感じる可能性のある人の数に対して、「日本語=母語」に反発を感じる可能性のある人の数は、無視できる程度の量ではない、とは言ってもいいのではないでしょうか。

また、男性が「母国語ではない。母語だ」と主張すると、無自覚的にではあると思いますが、結果的に「育児は女性が負担するべきだ」というジェンダー的な主張を押しつけていることになっていることにも注意を払う必要があります。

逆に、無自覚に女性が言うと、私のように育児もしている男性にとっては「どうだ、母乳出せまい、はっはっは」という勝ち誇った表現のように感じられないこともないのですが。(それがホンネか)

参考ブログ:死別シングルファーザー再生計画

参考文献:
田中克彦(1981)『ことばと国家』岩波新書
タグ:ことば
posted by 村上吉文 at 06:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このエントリーをはてなブックマークに追加
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