2019年03月26日

1000ドルの鉛筆の先に見えてくるもの「SAMRモデル」

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

6日間の長い出張が終わって、これからエドモントンに戻るところです。もうオタワの空港に着いたんですが、搭乗時間までまだ1時間ぐらいあるので、またブログを書いてみたいと思います。ちなみに今回の出張ではパソコンを持ってこないでiPhoneとiPadだけでどのぐらいできるかに挑戦しているんですが、6日目ぐらいになってくると、キーボードショートカットが使えなくてもiPadでもそれなりに効率的に仕事ができるんじゃないかという気もしてきました。少なくともアプリケーションの切り替え等は、iPadを横長に持って、左側の親指でホームボタンを二度押ししながら、右手の親指で開きたいアプリをタップすると、パソコンのキーボードでコントロールキーとタブキーでアプリ間を移動するような感じで素早く移動できますね。iPadを縦長で持っているとまだちょっと難しいですが、横長に持って両手で持つというスタイルなら結構いけるかもしれません。文字入力はもちろん音声入力です。

さて本題ですが、先日、「ICTは教育にとって手段に過ぎない・・・のか?」と言うブログ記事を書きました。そしてそれをTwitterでシェアしたときに、どのぐらいの方が共感してくれるかを例のTwitterアンケートで聞いてみたところ、実は3割程度の方しか共感してくれず、ちょっとがっかりしています。アナログな人が多い日本語教育の世界の中でTwitterを使っている人はごく一部で、しかもかなりデジタルの方に偏っていると思いますので、アナログな人も含めた日本語教育会全体の中では、この記事に賛同してくれる人はもっと少ないのではないかと思います。

しかし、事実は事実として現実を受け入れなければいけません。これは言い方を変えると、ICT利用の先に広がっている風景が見えている人が3割ぐらいしかいないという事でもあります。これはまさにGLOCOMの豊福晋平さんがおっしゃる以下の説明に合致する現象ではないかと僕は思いました。

【A増強】レベルの段差(飛躍)とは、上図にある解説の機能改善だけでなく、情報量や頻度の圧倒的な増加を次段階の前提におかなければならない、ということだ。教員も学習者もある程度経験値を積んで、能力や見通しがつかめないと、次に到達すべき目標(つまり【M変容】)は見えてこない。(中略)
SAMRモデルの【A増強】段階ではICTを用いて機能を改善する、だけでなく学習者としての圧倒的情報量の扱いと豊富な経験蓄積が揃わないと、次の【M変容】に到達できない。日本の教育情報化では利用頻度が低すぎるので、まだデジタルシフトが起こっていない。デジタル・トランスフォーメーションを展望するには、まずデジタルシフトの実現が必要だ。
https://gakko.site/wp/archives/1181


いきなりAとかMとか言われてびっくりする人も多いかと思いますが、これは「SAMRモデル」という、ICTが社会を良い方向に変えていく4つの段階について説明したものです。今日はこのモデルに従って教育において何が起きるのかを日本語教育の文脈で考えてみたいと思います。

最初はSです。「代替」ですね。皆さんの現場で考えてみましょう。これまでのアナログなツールは、いろいろなところでデジタルのツールに代替されていったのではないかと思います。例をいくつか挙げてみたいと思います。

・カセットテープで聞かせていた聴解の音声がCDやMP3に変わった。
・OHPや写真パネルやフラッシュカードの代わりにGoogleスライドやKeynoteやPowerPoint等のプレゼンテーションソフトが使われるようになった。
・電話やノートで行っていた教師間の引継ぎがメールやMessengerで行われるようになった。
・教師が教案を書くときに手書きではなくExcelなどの表計算ソフトを使うようになった。
・学習者が授業中にパソコンでノートをとるようになった。
・作文の原稿用紙ではなくて、パソコンでタイプしてプリントして提出するようになった。
・小テストの回答を紙ではなくGoogleフォームなどを使って提出してもらうようになった。


この段階であれば、とっくに通過しているような現場も多くあるのではないかと思いますし、今まさにこの段階を経て変わりつつあるというところも、まだあるかと思います。ただ、前にも書きましたが、これだけせは「1000ドルの鉛筆」などと言って揶揄されてしまうこともあります。せっかく1000ドルするパソコンなどを買っても、数十円の鉛筆と同じ事しかしていないのでは、お金の無駄ですよね。

しかし、僕はそれでもいいと思います。たとえ数十円の鉛筆と同じことを100,000円かけてやっていても、何もしないよりはずっと良い。ただしそれには1つだけ条件があります。それは「なんだ、これじゃ鉛筆と同じじゃないか」と言って鉛筆に戻らないこと。そしてそのためには、今日ご紹介しているモデルのような、その先にどんな風景が続いているかを知識として知っておくことが必要です。

さて、「1000ドルの鉛筆」と揶揄されながらも、こうしてSの段階を進んでいくと、直にAの「増強」の段階に達します。僕たちの身近な世界ではこんな変化が見られるのではないでしょうか。

・教案を表計算ソフトで作って、板書の代わりにプレゼンソフトを使うのなら、最初からプレゼンソフトで教案を作ってしまったほうが早いんじゃないかと気がつく。
・コピー機などのアナログで高価なツールの利用をやめて、コストが削減できる。
・手書きの引継ぎでは文字しか使えなかったが、デジタルになって写真や音声や動画も入れた引き継ぎができるようになる。
・学習者も板書をパソコンでノートを取るだけではなく、黒板を撮影したり、教師の話を録音したりできるようになる。
・GoogleフォームやGoogleクラスルームなどで自動採点し、提出した直後にフィードバックできるようになる。


ここまでがAです。時間やコストなどは削減できても、質的な変化は起きていません。よく、「デジタル化しても教育上の効果が上がらない」などというのはこの段階かあるいはその前のSの段階にとどまっているからです。これについては「むらログ: 「1000ドルの鉛筆」から脱却するための3つの視点」という記事で説明したことがあります。

ただ、豊福さんも書いていましたが、この段階を大量にこなさないと(ここは第二言語習得で言う「大量のインプット」に近いイメージがあります)、その次の段階が見えてこないのではないかと思います。次の段階はM、「変容」です。

ここの部分も上記の「「1000ドルの鉛筆」から脱却するための3つの視点」で書きましたが、僕のイメージでは要するに以下の3つです。

1.教室を単なる「情報を教師から学習者へ伝達する」だけの場としないこと
2.教室活動だけではなく、教師の役割そのものを「情報のリソース」から、問題の設定者などへと変えること
3.ICTを「教室の壁を超えて利用する」という視点

具体的には以下のような教室活動です。

・知識や情報を与えるのはビデオなどにして、教室ではディスカッションなどを行う。(反転授業)
・そもそも知識や情報を与えるのはやめて、教師は質問するだけにし、学習者が答えを探す。(マークプレンスキーのパートナー方式など)
・質問自体も学習者が考える。(QFTなど)
・作文を教師が添削するのではなく、ソーシャルメディアなどに投稿して、他の日本語話者に読んでもらい、コメントなどをもらう。あるいは他の日本語話者の投稿に対してコメントや質問を行う。


ここまでくると、ICTを使うことが単なる効率化ではなく、質的な変化を伴い、そして劇的にアナログの時代とは全く違う効果を上げてくるのがわかると思います。作文等に関しても、「Facebookなどでシェアすると教室内でシェアするのよりもずっと習得が進む」という研究などもこのブログで紹介してきました。

なお、この段階の活動ではあくまでも僕の視点に過ぎず、豊福さんは別のツイートで以下のようなことを書いています。豊福さんご自身は「これがAからMへの転換である」とは書いていませんが、SAMRモデルに当てはめるとその辺ではないかと僕は思っています。
ICT脱教具論は「教師による場面統制から学習者主体の自律へ」「与える学習から生み出す学習へ」「系統的知識スキルから一般的知的操作スキルへ」の転換を含んでいる。ファッションとしての授業スタイルや技法というより、むしろ、学習観の転換(あるいは積極的な読み替え)と言った方が適切。


おそらく、「教育にとってICTは手段に過ぎない」と主張する人は、今回のモデルで言うSとAのところしか見えていないんだと思います。このMの段階が見えている人には、ICTは単なる手段だとは思えないでしょう。

しかし実は、まだ先があります。それがR、つまり「再定義」です。実はこのモデルの提案者、Rubenは再定義の幅をずいぶん小さくとっているのですが、ここでは日本語教育そのものが再定義されると考えてみましょう。それが僕の言う「ブルドーザー」です。日本語教育という概念の定義が変わってしまうのです。

これまで日本語教育というのは、基本的に教育機関で教師が複数の学習者に対して日本語を教えることを指してきました。例えば国際交流基金の日本語教育機関調査に出てくる数字を、「日本語学習者の数」とか「日本語教師の数」とか表現している例を学術論文の中ですらよく見ますが、実際には個人で教えている日本語教師や日本語学習者はこの調査の対象にはなっていませんし、日本語学習アプリを開発する人やそのアプリで勉強する独習者も当然算入されていません。これはこの調査が始まった当時は、こうした日本語学習のあり方というのが非常に限定的で、数として無視できるほどのものだったからでしょう。しかし前にも書きましたが、今では「Duolingo」というたった1つのアプリで日本語を勉強しているアクティブユーザの数ですら500万人を超え、国際交流基金の日本語教育機関調査の全世界の日本語学習者の数をはるかに超えてしまっています。カナダの日本語教育の現場でも、教育機関調査では学習者数は少しずつ減っているのですが、日本語能力試験の受験者数は右肩上がりに増加しています。これもこれまで学校などで勉強していた層の人たちが、教室で勉強するよりもアプリなどで独習することを選び始めた例と言えるでしょう。

もし日本語教師を「日本語の文法や語彙の知識を学習者に伝える人」だと定義すると、先進国の日本語語教師はすでに該当しなくなっている場合がほとんどでしょう。知識のリソースは今やポケットの中のスマホですぐにアクセスすることができるのですから。

たとえば、日本語教師を「日本語学習者の主体的な学びを支援する人」と再定義してみるのはどうでしょう。そうすると、一般的な日本語教育機関で教師として働く多くの日本語教師を含むことができるではないかと思います。でも、考えてみると、「日本語学習者の主体的な学びを支援する人」って、教育機関で働く人だけでなく、むしろ日本語教育のコンテンツを作るYoutuberや、アプリ製作者も該当するのではないでしょうか。つまり、この定義に従えば、日本語教師の仕事というのは教室で学習者を支援するだけではないということが言えるでしょう。

中には、「こうしたコンテンツ製作者は学習者に直接関わる訳ではないから日本語教師ではない」と考える人もいるでしょう。では、「自分の担当する学習者のために、主体的な日本語学習を支援する人」と再定義してみるのはどうでしょう。しかし、だとするとICTの普及した自由で危険な世界では、学習者の安全を確保しつつ少しずつリスクが取れるようにすることや、その学習者の特性に合ったコンテンツまで案内できるような能力こそ日本語教師にとって必要になってくるのではないかと思います。

豊福さんの指摘する通り、大量にICTを使わないとこうした光景が見えてこないのは、僕自身も前回のアンケートでよく分かりました。今回の記事も7割ぐらいの人は「んなわけねーだろ」という感想なのかもしれません。しかし、僕のフォロワーの皆さんの中の3割程度の方には、僕と同じ光景が見えているのではないかと思います。もちろん、「んなわけねーだろ」の人を批判するつもりはありません。ものごとを受け入れるのには、必要な経験や時間というものがあります。僕のように自律学習を追求してきた人間でさえ、自分の子供たちが「ホームスクールがいい」と言い出した時にはかなりの葛藤がありましたから。

ですから、繰り返しますが、SAMRモデルの先の方まで見えている必要はないのです。最初はS、つまり代替だけでいいでしょう。何でもかんでもデジタルに代替していけば、じきにAの「増強」が見えてきます。Aの段階に入れば質的に変化はしなくても、アナログよりもずっと安くて仕事も楽になることが分かるでしょう。そして、このAの段階を大量に経験すれば、これまでの学習観から脱却するMの段階に到達することができるはずです。

逆にいうと、まだアナログな現場がいきなりコピー機をやめることができないのは、Sの段階を経ないままAには進めないからなんですよね。コピー機なんか日本語教育において本質的にはまったく必要ないのに、wi-fiなどでもっと安く楽に情報の共有ができることが腹落ちしていないから、コストも時間も無駄にしつつコピー機がやめられない。ほんの少しの勇気さえあればお金も時間もかからないAの段階が見えてくるのに、それができない場合はAの段階が見えないので、却って高コスト、非効率でブラックな環境から脱却できないわけです。

長くなってきたので今日はここまでにしておきますが、しかし、そういう現場でもちょっと工夫すれば自分でコストを負担しないで経営者のコスト減の実績をアピールすることはできると思いますので、今度改めてSからAへの無理のない移行につても書いてみたいと思います。

そして冒険は続く。

【参考資料】
むらログ: ICTは教育にとって手段に過ぎない・・・のか? :
http://mongolia.seesaa.net/article/464566852.html

2018年04月08日
「1000ドルの鉛筆」から脱却するための3つの視点
http://mongolia.seesaa.net/article/458668293.html

デジタルシフトとSAMRモデル – gakko.site
https://gakko.site/wp/archives/1181


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posted by 村上吉文 at 21:18 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加