2007年07月02日

久間発言報道に見る議論の浅さ

今朝の新聞で、久間発言について朝日と毎日が社説を書いています。読売、産経、日経は今のところ社説レベルでは取り上げていない模様ですが、このあたりも含めてどうもきちんと議論されている気配がないので、ちょっとだけコメント。

というのも、感情的な批判ばかり目立っていて、きちんと反論している論説は一つも見つけられなかったからです。

久間発言の主旨は何の条件もなしに原爆投下を容認しているのではなくて(というよりむしろ明確に「米国による原爆投下は許せない」と前置きしている)、原爆投下の結果終戦が早まり、ソ連の本土侵略が防げたのでドイツのように東西に分割されて戦後統治されなかったと言っているわけですよね。

これに対して反論するのなら、「分割統治されていた方がマシだ」と比較そのものの間違いを指摘するか、「原爆が投下されても分割統治される可能性はなかった」と比較の成立条件を否定するしかないはずです。

それなのに、批判的な論調では「原爆は悪いものだ。容認は許せない」という、論理も何もない感情的な批判に終始しています。まったく議論が深まっていません。

このインターネット時代に、単発の情報を投げ出し続けるだけでは、マスコミの存在価値はありません。だって、その講演会の主宰者がネットに載せるか、来場者がブログに書けばいいだけの話ですからね。本当に重要な発言だったらすぐに大量のブックマークがついて、興味のある全員がその情報に接することができるでしょう。

マスコミに存在意義があるとすれば、単純な感情に流れがちな世論を、きちんとした議論に向かわせることではないかと思います。サウンドバイトはテレビだけで充分。まともな議論ができないのなら新聞はいらないと思います。


なお、久間さんはヨーロッパの例しか出しませんでしたが、アジアで分割されていたのは朝鮮半島とベトナムです。朝鮮半島は今でも分割されていますし、北朝鮮では90年代に少なくとも百万人の餓死者を出しています。人口五倍の日本に換算すれば五百万。ベトナムでは、南北ベトナム間の戦争で二百万人が死にました。ほぼ1.5倍の人口を持つ日本に換算すれば三百万です。

恐ろしい数字ですよね。

実をいうと、私の両親はヒロシマ出身です。被爆こそ免れましたが、62年前の8月6日の朝にも、そこにいました。小学校の時に父に原爆資料館に連れて行かれて、本当にショックだったのを今でも鮮明に覚えています。だから、原爆が容認できないという主張も、個人的には非常に理解できます。

しかし、それと同じような想像力を、日本人が五百万も餓死していたという可能性、日本人同士で三百万人も殺し合った可能性にも向ける必要があります。そこに私自身や私の家族が含まれていた可能性もあるのですから。

参考
久間発言を伝えるNHKニュース


BBC制作の原爆投下時の映像。


ドイツとの比較についてはむしろブログで見受けられます。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070701211951/
タグ:社会時評
posted by 村上吉文 at 05:09 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
こんばんは、はじめまして
ブログに記事を掲載させてもらいました
掲載がダメな場合、即削除するので連絡ください

m(__)m
Posted by 真田 at 2007年07月04日 01:04
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