2019年01月14日

父が最後に教えてくれたこと 在宅医療とホームスクーリング

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


冒険家の皆さん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?

さて前の記事にも書いたように、昨年末に父が亡くなりまして、その際に僕自身が全く知らなかった社会の色々な部分を体験することができました。実際には父が教えてくれたわけではありませんが、父のおかげで体験することができたという意味で、ここでは父が最後に教えてくれたこととしておきます。

前の記事ではかなりネガティブなことを書いてしまいましたが、父を看取ることによって見えてきたのは実はそれだけではありません。日本の医療制度は30年以上前に僕が交通事故で入院していた時よりずいぶん進化していて、 かつ教育の問題と実は根が同じ問題を抱えているように見えたので、今日はそのことについて書いておきたいと思います。

今日お話ししたいのは在宅医療という一つの医療の形です。末期癌などの重篤な病人も、今では入院しないで在宅で医療を受けることができるようになっています。そして、健康な人は驚いてしまうほどその制度も整っていて、手間もコストもあまりかかりません。

実を言うと、参考資料のところでご紹介している『なんとめでたいご臨終』という書籍に出てくる試算では、 入院していたら在宅医療によりもずっと高いコストになってしまっていた例が紹介されています。在宅のほうが安いのです。

そして、この在宅医療という制度を通して見えてきた病院を中心とする従来の医療の問題点が、実は今学校が抱えている教育制度の問題点にも非常に共通しているように思えるのです。

【父の看取り】

まず僕の父が末期癌であることが分かったのは2018年の10月2日でした。兄から重苦しい声で電話がかかってきたのは奇しくも、『冒険家メソッド』の本がカナダの僕の自宅に届いたその当日。その時点で余命3ヶ月と言われていたので、当初の予定を取りやめて年末年始は一時帰国することにしました。しかし年末年始を迎える前に、急に父の体調が悪くなり、11月20日に父は緊急入院をしてしまいました。 僕もこの日に日本に緊急で帰国する手続きを取り、21日には飛行機に乗り22日に日本に着きました。飛行機に乗るときにはお別れを言うにはもう間に合わないかもしれないと言われていたのですが、父は最初の危機は乗り越えてくれました。入院する直前まで本当に普通の生活を送っていたようで、病院への行き帰りに父の車に乗ってみると、11月19日付のガソリンスタンドの領収書がありました。

しかし、入院している父を見舞うと、衝撃的な光景を目にすることになりました。というのも、父は太い動脈に挿入されているカテーテルを無意識に抜こうとしてしまうらしくて、 手で物がつかめないように手袋のようなものをつけられていたのです。手のひら側に厚い板が入っていて、物を掴んだり持ったりできないようになっていました。呂律障害と言って言葉がはっきり発音できない状態になっていたのですが、これを嫌がっているのは明らかだったので、家族が見舞っている時だけはそれを外してもらうことにしました。

ところで、初めて病院を見舞う前に、その病院には「相談員」という人がいることを知りました。正式にはメディカルソーシャルワーカーとか、その英語の頭文字をとってMSWなどと呼ばれることがあるようです。治療方法の相談などは、この相談員の方を通して専門的な話を伺うことができました。医師や看護師を煩わせて治療の質を下げることなく、きちんと情報提供を受けたり、あるいは今後の治療方針の選択肢を示してもらったりすることができるのは、大変ありがたかったです。

夏に帰国した時には全く病気の雰囲気を感じなかった父が、黄疸も出て呂律も回らず、すっかり病人らしくなっているのを見たことはショッキングでしたが、それよりも、これまでほとんど病気らしい病気をしたこともなく、歯の治療以外に入院した経験もない父が、物をつかめないような器具を手につけられ、母のいる家から離れて暮らしていることにとても申し訳なく思いました。実際父は何度も「帰りたい」と言っていましたし、立ち上がれないのに無理をして帰ろうとしたこともあります。

そこで先ほどの相談員の方が、「帰る方法がある」ということを教えてくれました。それまで僕が全く可能性すら考えたことがない「在宅医療」という選択肢です。そして、これは後から分かるのですが、在宅医療を専門に行なっている医師や看護師や医療用具の手配をする会社なども、こうした病院での医療に合わない人を支援する体制ができていたのです。

そして僕の父が入院している病院には、利用可能な個室すらなく、看取るときは一部屋8人の大部屋で看取らなければいけないということが分かりました。同じ病室の人はみんな赤の他人ですし、それはあまりにも人生の始まりとか終わりの神聖な瞬間として尊厳に欠けるように僕には思えました。 何よりも僕自身がそんなところで父を見送りたくはありませんでした。

今思うと必要以上に悩んでしまったのですが、やはりこの殺伐とした大部屋で看取らなければいけないというのが最後の決定打になって、妻とも話して父を自宅に連れ帰ることにしました。そこからはもう本当に早く、確かその日の夕方には介護ベッドと酸素吸入用のボンベなどが 運び込まれ、翌日には父も退院し、その日の夕方には 訪問看護の看護師と訪問診療の医師が家に来てくれて治療にあたってくれました。当初、訪問診療の先生は3日後に退院を考えていらしたのですが、退院前に病院で父を診察して、もうそんなに時間が残されていないということで迅速な指示を出してくれました。前述の相談員さんの方がこうした訪問診療の先生や訪問看護の看護師さんと事前に連絡をしてくれていたというのもとても大きかったと思います。

この辺りは本当に優秀な人たちが洗練されたチームワークで ICTなども活用しながらまさにいい仕事をしているなあと思いました。Slack のようなビジネスチャットのソフトで、かつ医療従事者専用のものなどもあるのです。今回は短かったので僕は参加しませんでしたが、希望すれば患者の家族も参加することができるとのこと。前の記事では行政手続きや教育業界のあまりの時代遅れな非効率さを嘆きましたが、少なくとも僕の見た範囲では医療の世界は全く違っていて、優秀であるだけではなく、自分の仕事に情熱を持ち、献身的で、人間的にも尊敬できる人たちが多くいらっしゃるように思っています。 (ただし、相談員の方は「この地域で集まれる中では最高の人たちを集めることができた」とおっしゃっていたので、もしかしたら全体的には違うかもしれません。参考文献の『なんとめでたいご臨終』という在宅医療の本にも、「玉石混交」と書いてありました。)

自宅に戻った時は、最初のうちこそまだ「家に帰る」とか言っていて、父は状況がよくわかっていなかった時もあったのですが、自分がやっと帰宅したのだということが分かってくると、表情も和らいできました。こちらもなるべく、普段通りの生活を続けるほうがいいと思っていたので、晩御飯も介護ベッドのすぐ隣で普通に食べました。匂いで分かったらしく、父の方から「晩御飯?」と聞いてきたこともあります。

父「晩御飯?」
僕「うん」
父「食欲ない」
僕「じゃあ先に食べとくね」
父「うん」

というような会話もありましたし、入浴の前には、

僕「お父さん、お風呂に入ってくるからね」
父「おう」

というようなごく普通の家庭での会話を交わしました。 入院していたら、亡くなる前日にこのような会話をする可能性は全くなかったのではないかと思います。

亡くなった当日は日曜日の夕刻だったのですが、 いつもの日曜日と同じようにお昼には「のど自慢」をテレビでつけていました。その頃にはもうかなり眠っている時間が長かったのですが、目を覚ましてくれた時には「今、のど自慢やってるよ」 「今日のゲストは三山ひろしだよ」 などと声をかけると頷いてくれました。

その日の夕方には、訪問看護師の人から事前に教えてもらっていた「下顎呼吸」が始まり、 急いで駆けつけてくれた訪問看護師さんと母や僕や子供たちに囲まれて、 ほとんど苦しむことなく父は87年の生涯を終えました。

今振り返ると、もっと早く自宅に連れ帰れば良かったとか、他にもいろいろ悔やむところはあります。例えば、のど自慢を見た後に、「もういん」とか「もうしん」と聞こえるものを非常に欲しがっていたのですが、それが何だかわからず、対応することができませんでした。今思うと、俳句が好きだった父は辞世の句を残すために「毛筆」を欲しがっていたのではないかと思っていますが、今となっては確かめるすべはありません。そしてもちろん父は、辞世の句を残すことができませんでした。

無呼吸の時間が長くなり、いよいよお別れだという時には涙も出ましたが、 いろいろな冒険に連れて行ってくれた感謝を伝えることもできたし、やはり最後の「家に帰りたい」という父の希望を叶えることもできたので、 思いのほか悲しみは大きくありませんでした。いま写真を見て驚いているのですが、亡くなった次の日の晩御飯で、 父の亡骸が横たわっている介護ベッドの隣で、ビールを開けながら兄と母で笑っている写真が残っています。 ちなみに亡くなる前の日には、訪問診療に来てくださった医師が撮影してくれた写真で、父自身がカメラに向かって Vサインをしている場面も残っています。

さて前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

【医療と教育が抱える共通の問題】

今日、皆さんに申し上げたいのは、医療と教育はかなり同じような問題を抱えていますが、その対応は医療の方がずっと進んでいるということです。

まず、共通する問題点として、「欠乏の時代」から「ありあまる豊かさの時代」へのパラダイムシフトが起きていて、そのシフトがまだ十分ではないという点が上げられます。

教育に関しては今まで何度も書いてきましたように、教師や教材も足りない時代に、子供たちを一箇所に集めて、そこでごく少ない教師がごく少ないリソースを使って教育を行ってきたのが、今の学校制度です。 こうした制度は効率的ではありますが、みんな同じ内容を学ぶしかないので、 画一的で多様性の欠如した制度になってしまいます。だからこそ、帰国子女や、海外出身の子供たちや発達障害などを抱えている子供たちはこうした学校で排除されやすいのです。

医療に関しても、病院はまさに同じ発想ですよね。 医者も薬も足りないから、病人やけが人を病院に集めて、そこで治療を行うわけです。これも確かに効率的ではありますが、普段の生活とは全く違う画一的な環境に 患者を連れてくることには変わりはありません。それぞれ違う家族がいるのに、他の人と同じ医療スタッフがお世話をすることになります。そして、やっぱり元気な人が病院で待っていて、病気や怪我を抱えている人がわざわざ病院まで移動してこなければいけないというのは変ではないでしょうか。

こうした問題に対して、教育の世界では不登校という形で拒否反応が現れています。日本では不登校と言うとまだかなりネガティブなイメージがありますが、欧米の多くの国と地域ではホームスクーリング(在宅学習)として普通に認められています。 この辺りは過去に以下の記事で書いておりますのでご関心のある方は是非ご覧ください。

むらログ: 多様な学びを社会として認めよう

むらログ: 『かがみの孤城』にみる日本の教育の多様化の遅れ

そして医療の世界でも、 僕が今回新たに知りましたように、在宅医療という形が始まっています。ただし、教育の世界と大きく違うのは、在宅医療の制度は長い歴史があり、すっかり整備されているという点です。

では教育の世界は、 医療の世界から何を学ぶべきなのでしょうか。あまりにも多すぎて網羅できないかもしれませんが、気がついたことをいくつか挙げておきたいと思います。

まず、医療と同じように教育も自宅ですることが十分に可能であるということを認識すること。 何度も書いていますが、今は欠乏の時代ではありません。リソースはありとあらゆる内容が出版されていて、少なくとも義務教育課程のものは何でも自宅で学ぶことができます。もちろん、お金がない人はオンラインのリソースで無料で勉強することもできます。

当たり前ですが、やる気さえあれば40人クラスで勉強するよりもずっと早く勉強することができます。僕自身も高校の時に怪我で入院していて、学校の授業の進むスピードの遅さに驚いたことがあります。日本のホームスクーリングの世界では有名な星山まりんさんは、小中高等学校に通いませんでしたが、大学入試を受ける前にたった2ヶ月半で小中高12年間ぶんの勉強を終わらせたと書いています。

学校12年間の勉強が2ヶ月半で終わることがわかった
大学へ行こうと思い立った17歳の夏、まず高認試験のためにはじめて勉強をしました。
試験まで2ヶ月半の期間で、数学にいたっては足し算引き算もまともにやったことがない状態から、全8教科に独学で一発合格。本来12年かけるはずの大学へ行く資格が、たった2ヶ月半で済むということがわかりました。

ただ、放置されても自分で勉強できる子供ばかりではないでしょう。ですので、医療の世界から学んで各種の制度を整備する必要があります。

例えば、一部の病院には「相談員」さんという人がいます。上にも書いたようにこれはメディカルソーシャルワーカーとも呼ばれている人で、 医師や看護師や医療器具レンタル会社などと連絡して全体的な医療計画を患者やその家族と一緒に作るコーディネーターです。医療ではなくて介護の世界にも、ケアマネージャーという同じような立場の人がいらっしゃいますよね。

末期癌などの終末期の患者を対象にした在宅ホスピス医療では、THP、トータルヘルスプランナーという仕事の認定も行われています。

THP(トータルヘルスプランナー)の認定について | 日本在宅ホスピス協会

またこうした考えについて、非常に活発に周知広報する活動も行われています。

一方で教育の世界ではいかがでしょうか。エデュケーショナル・ソーシャル・ワーカー(ESW)とか、トータル・ラーニング・プランナー(TLP)という人がいてもいいとは思いませんか? ホームスクーリングをする人の要望やニーズなどを聞いて、「それならこういうリソースを使うといいよ」などとアドバイスして面倒くさい書類などは全部その人が作成し、自治体の教育委員会に学習計画やその進捗状況を共有するのです。

いや、それよりまず第一に、僕が病院の相談員さんから在宅医療について教えてもらったように、不登校状態になっている子供や保護者に「学校でなくても勉強することはできる。嫌なら行かなくていい」ということを伝えるのが大きな仕事かもしれませんね。

医療と教育の共通点の一つに、 多くの人が「病院や学校だけが唯一の正解でその他に医療や教育を受ける機会はない」と信じていて、そこから変化することがとても難しいということもあげられます。そういえば数日前にこんな悲しいニュースもありました。
母親「不登校に悩んでいた」中2娘殺害未遂
8日、群馬県前橋市で、中学2年生の娘の首を絞め殺害しようとしたとして、51歳の母親が逮捕された事件で、母親が「娘の不登校に悩んでいた」などと供述していることがわかった。(以下略)https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190110-00000015-nnn-soci

記事によると、この子は転居による転校があり、新しい学校に慣れることができなかったようです。 実はこの母親は僕や僕の妻と同じ年齢で、このお嬢さんも僕の娘と同じ年齢です。そしてうちの娘も転居をきっかけにホームスクーリングを始めたので全く他人事ではないのですが、 多分この母親が ホームスクーリングという概念を知っていたら、このような悲劇は起きなかったのではないでしょうか。そしてそのためには、僕が病院で相談員さんから在宅治療について教えてもらったように、学校でホームスクーリングについて教えてもらうことができていたら、この悲劇は間違いなく防げていたはずです。だって僕自身、自分の娘を絞め殺そうなんて思ったことはありませんから。エジソンやリンカーンを始め、学校に通わずに成功した人のモデルは数限りなくありますし、逆に学校に通ってその結果自殺に追い込まれたり、うつ病になってしまう人も数え切れません。 そこまで行かなくても、自分の能力より速い学習進度についていけなくて結果的に何も分からないまま卒業してしまったり、その逆に一人で勉強していればもっと早く終わらせることができた学習が、学校に行ってしまったせいでその何倍もかかってしまったというような例もたくさんあります。 こうした例を知っていれば、自分の娘が学校に行かないというだけで将来を悲観して絞め殺してしまおうなんていう考えは絶対に持つことができないはずです。

なお、医療と教育のもう一つの共通点として、本人が在宅医療やホームスクーリングを望んでいて、家族もそれを了承しているのに、無知な親族などが世間体を気にしてしまって、結局不幸な判断をせざるを得ないという状況もあるようです。教育に関しては、もしかしたら上記の事件もそうなのかもしれませんし、僕の周りにも非常に多く見聞きする例です。医療に関しては、『なんとめでたいご臨終』に以下のような一節がありました。

これはよくあることですが、ひとり暮らしの高齢者が家で亡くなった場合、「放置したと言われるのでは」と世間体を気にしたり、「家で何かあったら」と心配する親族も多いのです。

しかし、当たり前ですが終末期の高齢者が一人暮らしを希望して一人で亡くなった場合、それは本望であって近くの人が批判されるべきことではありませんよね。

教育が医療から学ばなければいけないもう一つの事は、制度面の整備です。先ほどメディカルソーシャルワーカーという制度のことを書きましたが、うちの場合は他にも埼玉医科大学の先生が訪問診療をしてくださいました。教育の世界で言う家庭教師ではなくて、正規の医師の方です。また訪問看護ステーションというところから正式な看護師の方も来てくださいました。

しかし、教育の世界では教員免許を持っている人が学校の業務としてホームスクーリングの指導だけを専門的に行っているなどということは僕は聞いたことがありません。仮にホームスクーリングの子供の家に行くことがあるとしても、それは自分が担当しているクラスや科目が学校にあって、それとは別に片手間にやる程度ですよね。しかし医療の世界では、訪問診療を専門として働くお医者さんもいらっしゃいますし、同じように訪問看護ステーションというところに所属している看護師の方が着替えや入浴などのお世話をしてくれるようになっています。一人暮らしの人も寝たきりのまま訪問診療を受けることができるようになっているとのことですし、『なんとめでたいご臨終』では家族がやらなければいけないこととして「朝おはようと言って寝る前におやすみと言って緊急の時は電話するだけでいい」というような表現も出てきます。

(1月15日追記:正確には著者が患者の妻に話す言葉として以下のように記されています。「大丈夫ですよ。ひとり暮らしの方でも、家で最期まで暮らせるんですから。それに奥さんがすることは、朝起きて『おはよう』、寝る時には『おやすみ』と言って、もし何かあったら看護師さんに電話をする。その3つだけやってもらえれば、あとはこちらで支えますから、最期まで家にいられますよ」)

コストに関しては、年齢や収入などによって違うのかもしれませんが、うちの父の場合は1割しか負担しなくて済みました。これを教育の現場に置き換えてみると、ちゃんとした資格のある先生が家庭教師としてきてくれて、しかも謝金のうちの9割は国が支払ってくれるということになりますよね。 医療の世界ではこのような制度が既に整備されていて、本当に軽い負担だけで在宅医療を受けることができるようになっているのです。また、高額療養費制度というものもあり、1割負担でも高額になってしまう場合は、一定の金額を超えるとそれ以上は全額を国が負担するような制度にもなっています。

最後に、もう一つだけ教育関係者が医療関係者に見習わなければならない点として、 上にも書きましたが関係者の間の情報共有のためのICT の利用があります。患者や医師や看護師や家族や相談員などがチャットツールで情報を共有しているのです。これは教育で言うと、児童生徒と保護者と教員などがひとつのチームとなって一人一人の児童生徒の学習のために連携を取り合うということになります。これは有料のアプリでももちろんできるとは思いますが、現時点で無料のツールがたくさんありますから、今すぐ真似をすることができるはずです。学級通信などのコピーや配布などによって時間を無駄にしている余裕が医療関係者にとってはないのだろうとは思いますが、教育界ももう少しこうした ICT ツールを利用しても良いのではないかと思います。

さて、長くなってしまいましたが、今日は父を看取ることによって見えてきた、医療界から教育界が学ぶべきことについて書いてみました。 病院や学校で十把一絡げに対応してしまった方が効率がいいようには思いますが、そもそも人の死や学びはもっと無秩序のなもので、こうした画一性には親和性が低いのではないかと思っています。

最後にいろいろなことを見せてくれて、ありがとう、お父さん。

それでも冒険は続く。

【参考資料】
小笠原文雄『なんとめでたいご臨終』Kindle版
https://amzn.to/2Foh4Nf

むらログ: 多様な学びを社会として認めよう : http://mongolia.seesaa.net/article/453716706.html

むらログ: 『かがみの孤城』にみる日本の教育の多様化の遅れ : http://mongolia.seesaa.net/article/460915106.html

THP(トータルヘルスプランナー)の認定について | 日本在宅ホスピス協会 : https://n-hha.com/thp/

AI-am 星山 まりんのプロフィール | AI-am
https://ai-am.net/marin-profile

厚生労働省「在宅医療・介護あんしん2012」 https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/zaitaku/dl/zaitakuiryou_all.pdf

高額療養費制度を利用される皆さまへ |厚生労働省 : https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/juuyou/kougakuiryou/index.html


【コメントはソーシャル・メディア上の記事別ページヘどうぞ!】
https://adventurers-hideout.slack.com/archives/CB6K25MCY/p1547471483001000
https://www.facebook.com/murakami.yoshifumi/posts/10217513888781110
https://twitter.com/Midogonpapa/status/1084799623665901568
https://plus.google.com/communities/107954474146218851251

【『冒険家メソッド』と電子書籍「むらログ」シリーズを購入して海外にルーツを持つ子どもたちを支援しよう!】
2014年以降のこのブログの内容はKindle本にもまとめられています。2019年中にこちらの本をご購入になると、その収益は全額が「海外にルーツを持つ子どもと若者のための日本語教育・学習支援事業」を実施しているNPO法人青少年自律援助センターに寄贈されます。ココ出版の『冒険家メソッド』は初版の本体価格の5%が同センターに寄贈されます。
https://amzn.to/2RiNThw
posted by 村上吉文 at 22:06 | ホームスクーリング | このエントリーをはてなブックマークに追加