2018年08月05日

『かがみの孤城』にみる日本の教育の多様化の遅れ

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




冒険家の皆さん、今日も虹色に輝く鏡を通り抜けて異世界へ侵入していますか?

さて、今年の本屋大賞に輝いた『かがみの孤城』という本を読みました。本屋大賞は文学通にしかわからない根暗な私小説とかじゃなくて、エンターテイメントとして楽しめるものが多く、この『かがみの孤城』も1つの娯楽作品として非常に質が高いので、皆さんにぜひ読んでいきただきたいと思います。

誰が読んでも楽しめるとは思いますが、特に不登校の子供たちや、その親御さん、そしてこのブログの読者としては、ブラックな日本語学校に勤めていて人生に絶望してしまっているような人にも、とてもお勧めです。ジャンルとしては、ミステリーでもあり、青春小説でもあり、ファンタジーでもあります。

しかし、この物語は日本の教育制度を考える上でも非常に示唆に富む面がいくつもあるので、今日はその点について書いてみたいと思います。

主人公を始めとした主な登場人物は全員が不登校か、もしくはそれに近い状況の中学生なのですが、僕が驚いたのは、その絶望感というか閉塞感です。この本が書かれたのは教育機会確保法が制定されるより前のことなので仕方がないのかもしれませんが、不登校をネガティブなものだと捉えていて、自分たちは社会に適応できない不適格者なのだという烙印を自分自身に押してしまっているような登場人物が多いのです。

これは非常に残念なことだし、単純に間違いでもあります。もちろん、「間違い」というのは作者が事実誤認をしているという意味ではありません。Twitterなどでこの本の反響を見ましたが、確かにこれが日本の教育界の現状なのでしょう。しかし、不登校がなぜ悪いことなのでしょうか。誰かに迷惑をかけているわけでもありませんし、むしろ迷惑をかけられてしまったから不登校になっているようなケースも多々あるのです。そして、そうした状況はこの物語の中でも描写されています。もちろん勉強しないことはよくないことですが、「不登校=勉強しない」ということではありません。しかし、学校という特殊な世界に適応できないだけで、その子供の人格が否定されてしまうようなことがあってはなりません。その意味で、この本に出てくる子どもたちが自分たちを社会の不適格者だと思ってしまうのは、世界を正しく認識していないという意味で間違いです。そしてもちろん、この認識が間違っていて、「それ以外に居場所があってもいい」というのがこの本の強烈なメッセージの中の1つです。

僕の住んでいるカナダや、隣のアメリカではこうした「学校になじめないから人格が否定されてしまう」ような認識は完全に過去のものになっています(州によっては例外もあるかもしれませんが)。ですので、このテーマではそもそも物語を作ることができないでしょう。不登校は要するにホームスクーリングですから、珍しいことでも何でもないのです。

例えば、僕が今回の一時帰国のために乗った飛行機の中で見た映画『Adventures in public school』(公立学校での冒険)では、主人公はホームスクーリングをしている高校生なのですが、なぜ学校に行っていないかなどという説明はありません。そういう子どもたちがいるのは当たり前すぎて、単によくいる子ども一人にすぎないからです。日本の映画で主人公が大阪に住んでいたとして、「なぜ東京でなく大阪に住んでいるのか」などという説明がいちいち必要ないのと同じことです。

この映画『Adventures in public school』では、そういう高校生が近くの公立高校に通う女子生徒に一目惚れしてしまって意図的にホームスクーリングの高校卒業試験に落ち、その女子生徒のいる高校に通うことになるというストーリーで、そこでの体験を通して成長をしていく過程が描かれています。主人公の母親は公立高校よりもいい教育をホームスクールで与えることができると信じているので、視点はあくまでも「通ってみたら学校にもいいところはある。悪いことばかりではない」というスタンスです。「学校に行きたい」という息子の意見に母親は激怒しますが、この辺も、「かがみの孤城」の前半で描かれている不登校児の周囲の大人たちの反応とは正反対です。

ただし、『かがみの孤城』でも主人公の母親を始め、その認識が間違っていることに気づきはじめる大人たちも描写されていて、ホームスクーリングの可能性もこの本の終盤で以下のように触れられています。

「学校は、絶対に戻らなきゃいけないところってわけじゃない。今の第五中でも、隣の中学でも、こころちゃんが行きたくないと思うのなら、私たちは、他にこころちゃんがどうすればいいのか──どうしたいのか、いくらでも一緒に考えるよ。『心の教室』に来てもいいし、自宅学習って形にできるかどうかも考える。こころちゃんには選択肢がたくさんあるの」

そして、この物語の7年後の中学生のセリフとして、こんな言葉も出てきます。

「義務教育とかっつって、言われた通りに学校行って、教師に威張り散らされるのを何の疑問もなく受けいれてるなんてさ。イケてないの通り越してホラーだよ」

この物語の時系列を通して見えてくるこれまでの日本の教育現場の問題や、その進んでいく方向などについて触れている作者の教育観はおおむね僕も共感できるものです。少なくとも「Ready Player One」に出てくる教育の未来(VRを使って世界中から学習者を集めているのに、旧態依然とした教師中心の一斉授業がVRの中で再現されていたりとか・・・)などよりはずっと正確なものといえるでしょう。と思って作者の経歴を読んだみたら、なんと教育学部のご出身なんですね。納得です。

さて、今日は昨日読んだばかりの『かがみの孤城』についてあくまでも僕の視点から書いてみましたが、冒頭にも書きましたように、この本はこうした教育の問題に関心のない人にも楽しめる純粋なエンターテイメント作品です。久しぶりに「ものがたり」を読む楽しさを味わいました。特に、後半は怒涛の展開で、本当にページをめくるのももどかしいという感じです。Kindleはページをめくるのに0.1秒ぐらいしかかからないんですが、それをもどかしいと思ったのは生まれて初めてです(^^) 読み終わったのは朝霞の花火大会に向かう電車の中ですが、中学生の娘と一緒に花火を見ながらも、ずーっとこの物語の場面が繰り返し脳裏をよぎっていました。

本当はもっと語りたいのですが、ネタバレを避けてこのストーリーの楽しさを語るのは僕の手にあまるので、ご関心のある方はぜひアマゾンの読者レビュー(https://amzn.to/2vA3MpH)をご覧ください。

そして冒険は続く。

【参考資料】
『かがみの孤城』
https://amzn.to/2OEXsG2

むらログ: 多様な学びを社会として認めよう :
http://mongolia.seesaa.net/article/453716706.html
(日本とカナダのホームスクーリングの違いについて書いています)

Adventures in Public School Trailer #1 (2018) | Movieclips Indie -
YouTube : https://www.youtube.com/watch?v=Ul0BdWColUo

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posted by 村上吉文 at 13:18 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加