2018年04月08日

「1000ドルの鉛筆」から脱却するための3つの視点

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


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冒険家の皆さん、今日も吹雪で倒れてしまったトーントーンの内臓を掻き出して寝袋にしていますか。(と書いてから検索してみたら商品化されてて吹きました)

さて、前回のブログの記事では、教育機関が ICT を利用することのメリットについていくつか考えをご紹介しましたが、その中で以下のように書きました。

一方で、同じ内容を紙と鉛筆で書くか、パソコンで書くかと言った ICTの効果を引き出さない比較では、それほどの違いが出ないという研究もあります。


この時はわざわざソースを示さなかったのですが、ちょうどこのブログを書いた後にハンガリー時代の友人から関連する記事を送ってもらったので、今日はこうした研究について考えてみたいと思います。

【NPRの記事】
送っていただいたのはアメリカの教育的なコンテンツを提供している NPR という組織の 「Attention, Students: Put Your Laptops Away」という記事で、元は心理学の学会誌に掲載されたアメリカの研究者による論文です。僕は元の論文は読んでないのですが、この NPR の記事によると以下のような内容だそうです。

TED Talkの動画を紙と鉛筆でノートにメモする人と、ノートパソコンでメモする人を比べた。手書きでメモをする人は、 ノートパソコンよりも早くメモができないので、メモする内容を選ぶことになる。一方、ノートパソコンは逐語的にメモする傾向がある。 そのために手書きでメモをする場合は内容をより深く処理する必要がある。

最初の実験では、 日付のような単純な事実は手書きでもノートパソコンでもテスト結果に違いがなかった。 しかし「 日本とスウェーデンでは社会の平等性に対するアプローチはどのように違うか」といった質問の場合は手書きの方がよかった。

2回目の実験では、ノートパソコンのユーザーに「逐語的にノートを取らないように」 と指示して同じ実験をしたが、結果はやはり手書きの方がよかった。指示されても本能的に逐語的にノートを取ってしまうことが原因らしい。

3回目の実験では、動画を見てからテストするまでの間にメモを見て振り返りをする時間を設けた。つまり復習ができたわけだが、それでも手書きの方が成績は良かった。

そして、 こうした研究結果を受け、 NPR は「学生の皆さんに注意。ノートパソコンをしまいなさい」というタイトルの記事にしました。

こうした研究結果は実はこれだけではありません。手書きの方が内容を深く処理するので覚えやすいという点は確かにあるのではないかと思います。しかし、 NPR の記事のタイトルのように、 laptop などの ICT を使うこと自体に問題があるのかというと、決してそのようなことはありません。

というのも、こうした実験から明らかなことは、紙と鉛筆の時代の教室活動をそっくりそのままデジタルにしてもあまり意味はないということだけだからです。そして、最近ではそうした一見デジタルなツールを使っただけで中身は古い教育観に基づいた教室活動は、「1000ドルの鉛筆」('$1000 Pencil')として批判される対象になっています。 僕は もう何十年も鉛筆を買ったことがないので、一本あたりいくらかよく分かりませんが、1000ドルのパソコンには単なる鉛筆以上の価値があり、それを有効に活用しないで従来の教室活動のコピーをしているだけだったら、わざわざパソコンを使う必要は全くないわけです。

この表現を初めて見たのは、George Courosの『The Innovator’s Mindset』で、この本の書評は参考文献に載せてありますが、他にも例えば、こちらでも全く同じ文脈で「1000ドルの鉛筆」という表現が使われています。

Alan November on the '$1000 Pencil' and Why Edtech Companies Aren’t Pushing the Envelope | EdSurge News
https://www.edsurge.com/news/2016-08-15-alan-november-on-the-1000-pencil-and-why-edtech-companies-aren-t-pushing-the-envelope

Twitter などではこれは非常によく見る表現で、例えば2週間ほど前にもこのような投稿がありました。



【三つの視点】
では、どうすれば古い教育観から脱却して、このような「1000ドルの鉛筆」と揶揄されるような教室活動を卒業することができるのでしょうか。そのためには三つの視点が必要なのではないかと思っています。

一つは、教室を単なる「情報を教師から学習者へ伝達する」だけの場としないことです。おそらく、その最も分かりやすい例が反転授業でしょう。わざわざ同じ時間に同じ場所に集まって(最近はZoomなどで集まることも少なくありませんが) 何らかの活動をするのなら、もっと有効な時間の使い方があるはずです。反転授業では、教室活動はディスカッションなどの時間に当て、一方的な知識の伝達はすべて授業の前にビデオを見たりすることで済ませるようになっています。 またこうしたビデオが体系的に揃うと、落ちこぼれなどが出やすい一斉授業を脱却して、それぞれが自分のペースで勉強する個別化したクラス運営ができるようにもなります。

本日ご紹介した研究でも、教室でTEDの動画を見て、それをメモするという 教室活動が紹介されていますが、TEDの動画というのはもともとインターネット上にあるもので、 いつでもどこでも見ることができるものです。なぜそれをわざわざ教室に集まって見せる必要があるのでしょうか。また、いつでもオリジナルを見ることができるのに、なぜ、わざわざ暗記して、オリジナルを見ることができない状況で思い出せるかを試験するのでしょうか。

二つ目は、教室活動だけではなく、教師の役割そのものを「情報のリソース」から、問題の設定者などへと変えることです。上に書いた反転授業では、教師は情報を与えるという役割のままですが、 実は教育機関で教えるべきほとんどの情報はわざわざそのように教師が与えなくても、ICT を利用すれば自分で見つけることができるものです。 こうした考え方は、「デジタルネイティブのための近未来教室」で、マーク・プレンスキーが提唱した「パートナー方式」などが有名です。 これも参考文献のところに僕のブログの紹介記事を挙げてありますので、ご関心のある方はご一覧ください。

日本語教育に関して言えば、一般的な文法の説明などは各種の文法説明のサイトがありますし、例えば「連濁」などのよくある質問などについては、日本語学習者のコミュニティなどに定番のように出てきます。日本語教師の仕事としては、個々の文法を教えるよりも、むしろ、こうした情報を探し出すことのできないICTリテラシーの低い人たちを支援したり、あるいは学習者が自ら質問してそうした情報を得られるようにすることにあるのではないかと思います。

三つ目は、 ICTを「教室の壁を超えて利用する」という視点です。 ICT を利用しない従来の教室活動では、作文などはせいぜい同級生が見る機会があるかどうかというところで、その多くは先生がチェックして直接学習者に返却されるという状況でしょう。おそらくこのような場合も原稿用紙に紙に書くのではなくパソコンで作文を作成したとしても、文章を作成する能力の育成にはほとんど効果はないでしょう。それが1000ドルの鉛筆の典型的な例です。

しかし、他の人に読んでもらうだけの価値のある文章を書き、そしてそれをソーシャルメディアなどに共有し、他の人に読んでもらってコメントなどももらえるとしたら、全く効果は違います。その一つの例が前回の記事でご紹介した研究です。全く同じ内容で、全く同じ活動をしても、成果物を教室内でだけ共有したクラスと、 Facebook で共有したクラスでは、コースの前と後の試験での伸びが全く違ったのです。
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【最後に】
今回の例に限らず ICT を使った授業と使わなかった授業を単純に比較したらあまり効果がなかったというような研究はいくつかありますが、そのほとんどは「単純に比較できる」という設定自体に問題があるのです。 ICT を使わなくても全く同じようなことができるということは、要するに「1000ドルの鉛筆」とほとんど変わらない教室活動をしている可能性があります。こうした、古い教育観に基づいた研究結果だけを見て、今回の NPR の記事のように学習者に「ICT を使うな」などと呼びかけるのは控えめに言っても間違いですし、もっとわかりやすく言えば有害でさえあります。教育関係者のなすべきことは、学習者に ICTの利用を禁止することではなく、自分たちが古い教育観から脱却することです。

とはいっても、実際に ICT を利用していない教員が ICT の利用を前提にした教育観を持つことはなかなか難しいでしょう。それを考えれば、最初は「1000ドルの鉛筆」だけでもいいのではないかとは僕も思っております。しかし、そこに留まるだけではなく、今回ご紹介した三つの視点を持って、 少しずつ前に進んでいっていただければ、それが本当の ICT 利用の価値につながるのではないでしょうか。

そして冒険は続く。

【参考資料】
むらログ: 教育機関が ICT を使うメリットを考えてみた
http://mongolia.seesaa.net/article/458601482.html

Attention, Students: Put Your Laptops Away: NPR
https://www.npr.org/2016/04/17/474525392/attention-students-put-your-laptops-away

むらログ: George Couros『The Innovator’s Mindset』
http://mongolia.seesaa.net/article/440918991.html

むらログ: 「デジタルネイティブのための近未来教室」の主題は技術ではなく、教授法だった!
http://mongolia.seesaa.net/article/382695710.html

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posted by 村上吉文 at 12:29 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加