2018年03月05日

作文を自分の母語から翻訳するのは悪いことなのか?

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


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冒険家の皆さん、今日も飛行船の中で飛行石を持った女の子にワインのボトルで頭を殴られていますか? 

こちらはカルガリー国際空港です。飛行船じゃなくて飛行機を待ちながらこれを書いています。ちなみに飛行石も追いかけていません。つーか、あれって冒険家じゃないよね。

さて、会話と違って「ものを書く」という作業は、リアルタイム性があまり求められません。つまり準備に時間をかけることができます。会話の場合は辞書で調べるよりも「それはどんな意味ですか」と相手に聞いたりする方がいいでしょうし、もちろん自分の母語で考えてからそれを学習言語に翻訳して相手に返事をするというようなことは、時間がかかりすぎて現実的ではありません。

しかし、 作文の場合はそうではありません。辞書を引く時間もありますし、場合によっては自分の母語で書いてからそれを翻訳する時間もあるでしょう。僕も最近まではあまりこういうことは深く考えていなかったのですが、やはり「日本語学習者の思考力は低いのか」で書いたように、外国語副作用の影響の深刻さを考えると、母語で書いてから翻訳するというストラテジーも悪くないのではないかと思い始めています。

こうした方法の問題は、母語で書いた文章の「表現力」が学習言語のレベルよりはるかに高いことがあることです。そのために自分の実力以上に無理な翻訳をして、結果的にわけのわからない表現になってしまいます。僕の学習者でもこういう人はいましたし、今まさにスピーチコンテストの原稿などでそういうものに手を入れなければならない日本語の先生もいらっしゃることでしょう。

こうした問題を避けるためには、「内容」と「表現力」の二つを分けて考えることが必要なのではないかと思います。内容に関しては、やはり学習言語で考えるよりも母語で考えた方が、はるかに高いレベルのアウトプットをすることができるでしょう。ですから、その高いレベルの内容を維持しながら、表現力は自分の学習言語のレベルまで落とす必要があります。それをしないと先ほど述べたような無理やり翻訳をして訳の分からない表現になってしまう危険があるからです。

実はこういうことは、わざわざ言わなくてもできる人も結構いるように思います。その一方で、どうしてもオリジナルの母語を直訳しようとしてしまう人もいます。このような学習者には、直訳しないで噛み砕いてから翻訳するように指導すれば問題は回避できるかもしれません。



つい最近までの僕も含め、日本語教師の方には母語で考えないで日本語で考えて作文を書くように指導することが自然だと考えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。僕もそれに対して何の違和感もなかったのですが、外国語副作用のことをきちんと考えると、 実はそういう指導は作文の表現力だけではなく、「内容」のレベルも劣化させてしまう恐れもあるのではないのではないでしょうか。そして、 外国語副作用をいつも身をもって体験している学習者にはその深刻さがよく分かっていることから、まず母語で作文を書いてから翻訳したいという気持ちになってしまうのではないかと思います。 そしてそれはあながち間違いでもないのではないかと最近は思っています。

実は僕も、仕事で込み入ったメールを書かなければいけない時は、まず日本語で書いてから英語に翻訳するようなこともあります。その理由のひとつは音声入力でキーボードを使わなくなってから日本語で書くのが非常に効率的にできるようになったということもありますが、 もうひとつの理由は言うまでもなく外国語副作用による内容の劣化を防ぎたいからです。

少なくとも内容をブレインストームするような時は、 間違いなく学習言語ではなく自分の母語で行った方が発想も豊かでレベルの高いアウトプットをすることができるでしょう。構成なども母語で考えて、 最後に清書する時に学習言語で書いてみるようなこともあってもいいのではないかと思います。

繰り返しますが、日本語学習者は頭が悪いから貧弱な内容の作文しか書けないのではなく、日本語を処理することに頭のリソースを多く使わなければいけないので、高いレベルの内容を考えることができないのです(日本語のレベルが高くなれば、もちろん外国語副作用も軽減するので高い内容のアウトプットもできるようになりますが)。豊かな内容の作文を書いてほしければ、まず母語で考えてから学習言語に翻訳するというストラテジーもあってもいいのではないかと思います。

ここまで書いてみてから、「こんな当たり前のことすでに誰かが書いているんじゃないだろうか」と思って検索してみたところ、作文の研究で有名な石橋先生が、すでに20年以上前に以下のような論文を書かれていました。

石橋,玲子(1997)「第1言語使用が第2言語の作文に及ぼす効果 : 文の流暢性と複雑さの観点から

この論文では文の長さと流暢性について研究されていますが、 その他にも「作文の質、量共に第1言語を使用した翻訳作文の方が直接第2言語で書いた作文より良い結果であった」(Kobayashi&Rinnert 1994)などの多くの研究論文が引用されていています。結論としては、最後に以下のようにまとめられています。
この結果は、従来の第2言語の作文指導法、すなわち「第2言語の作文では、第2言語で考えて書きなさい」という学習者の第1言語の作文能力や知識、ストラテジーを軽視してきた指導法の見直しを示唆していると考えられる。

また、僕自身はまだ読んでいないのですが、石橋先生のまさにこのトピックをタイトルにした書籍も出版されているようです。 以下の参考資料の欄をご覧ください。

そして冒険は続く。

【参考資料】
Murakami,Yoshifumiさんのツイート: "日本語教師の皆さんにご質問します。作文の指導をする時に 学習者の母語で書いてから 日本語で書くことを 禁止していますか、推奨していますか? #日本語教育 #日本語教師"
https://twitter.com/Midogonpapa/status/968990648538865664

むらログ: 日本語学習者の思考力は低いのか
http://mongolia.seesaa.net/article/456899259.html

石橋,玲子(1997)「第1言語使用が第2言語の作文に及ぼす効果 : 文の流暢性と複雑さの観点から」
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/50224/1/09_067-077.pdf

第2言語習得における第1言語の関与―日本語学習者の作文産出から 単行本 – 2003/10
石橋 玲子 (著)
http://amzn.to/2FVKHmI

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posted by 村上吉文 at 08:52 | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加