2017年09月26日

手話を生きる

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




冒険家の皆さん、今日も漂着した無人島で椰子の実を割ってココナッツジュースを飲んでいますか?

いやー、これは久しぶりに面白かったです。僕の専門分野の本でもなく、他の人が勧めているから読んでみようと思った本の中で、こんな面白い、というか、刺激的で、示唆に富み、そして衝撃的なものは、これまでになかったかもしれません。

冒頭から、全く予想もしていなかった世界が描写されています。聾(ろう)の子どもたちが、「突然、耳が聞こえるようになってしまったらどうしよう」と心配しているシーンです。聾と縁のない僕のような人間には、ちょっと信じられませんよね。できないことができるようになったら、普通は嬉しいじゃないですか。ところが、この本に出てくる子どもたちは違うんですね。
長谷部が子どもたちの反応をよく覚えているのは、「ろうでいい、ろうがいい」と捉えている子どもたちが、いかにも自然だったからだ。先生がそういうから、あるいは親に教えられたからではなく、自分はこれでいいのだと信じきっているようすは、ほかのろう学校では、けっして目にすることのない姿だった。

著者の斎藤道雄氏はこの「明晴学園」という聾学校の校長なのですが、斎藤氏はこの本の目的について、以下のように書いています。
私はこの本のなかで、明晴学園という学校をとおして見えてくる、手話という言語のいまの姿を可能なかぎり描いてみたい。それはこの学校が日本手話という、日本のもうひとつの少数言語が脈々と生きつづける現実の共同体であり、この共同体を生みだすまでに、日本手話が日本語への同化を求める執拗な圧力に抗してどのように生きのびてきたかを描くことになるからである。

僕の言いたいことはまさにここに要約されているとおりで、まず僕は手話が自然言語という認識もなかったし、その話者のみなさんがどのような体験をされてきたのかにも、あまり知る機会がなかったからです。

僕のブログの読者の皆さんには、日本語教育関係の方が多いかと思いますが、この本は、日本における少数言語の話者がテーマであるという点と、間違った教育制度や教育方法がいかに甚大なダメージを学習者に与えるかということについて、非常に大きな示唆を与えてくれます。その意味で、この本は日本語教師にとって必読だといえます。特に、年少者教育に関係する人には、益になることが多いでしょう。

この「日本における少数言語の話者がテーマ」ということに関して、著者はごく日常的な教室内の風景を詳細に描写した後で、このように結んでいます。
それはどこの小学校にでもある、ありふれたやり取りかもしれない。
 けれどこれは、ほかのどこの学校にもない独特の光景だ。なぜなら会話はすべて手話で行われ、音声日本語はひとこともないからだ。子どもたちの顔かたち、服装、ランドセルから机や椅子まで、すべてはどこにでもある日本の小学校の風景なのに、ことばだけがちがう。その意味では、ここは外国人学校のようなところかもしれない。

そう、まさに日本語以外の言語を母語としているという一点に限定すれば、聾学校は僕たちの知っている「外国人学校のようなもの」なのです。

実は僕は中学生の時に近くの公民館で一週間だけ手話の夜間講座に父と一緒に通ったことがあるのですが、この本によると、その時習ったであろう手話と、自然言語としての手話は違うものらしいのです。しかし、僕が中学生の時にはそういうことは聾者の人たちにさえ認識していなかったようで、この本によると、日本手話という自然言語があることが「発見」されたのは1991年だということです。斎藤は以下のようにその瞬間を描写しています。
 この年、ろう者でネイティブ・サイナー(村上註:両親ともに聾者で手話を母語として育った人のこと)の木村晴美は、東京で開かれた第一一回世界ろう者会議に参加していた。国立障害者リハビリテーションセンター学院教官として、手話通訳の養成にあたっている木村は、偶然立ち寄った分科会で見たひとりの手話通訳の手話に「衝撃」を受けたという。それはほかのどの会場の通訳ともちがっていた。
 わかるのである。
 日本語を翻訳した手話が、自然に、「ダイレクトに頭にすんなり」入ってくる。こんな手話通訳をそれまで見たことがなかった。

それは、この手話を見た人と、その手話通訳が両方とも「ネイティブ・サイナー」と呼ばれる母語話者だったからで、この瞬間に、今では「日本語対応手話」と呼ばれているものが、自分たちの言語である「日本手話」とは別の言語であることが認識されたのです。

 そして、ここから、ある意味で別の苦難の道が始まります。それは、聾者が聾者としてのアイデンティティを持ち始め、自分たちの言語を認知させようという試みだったからです。
小野とおなじ川本口話賞の受賞者で、優秀な口話の使い手であった木村晴美は、世界ろう者会議に遭遇した一九九一年から声を出さなくなった。聴者に合わせて日本語対応手話を使うこともやめている。

ろう学校の高等部を卒業し、大手電機企業に就職した赤堀仁美は、社会人になったばかりのころは声を出していた。しかし木村と親しかったろう者の先輩に、「なんで声なんか出してるの?」といわれ、それからまもなく口話をやめている。一九九六年のことだった。

こうして九〇年代後半から二〇〇〇年代はじめにかけ、多くのろう者が声を出さなくなった。彼らは口話ができないから手話に走ったのではない。ろう者として生きることを選んだがゆえに、声を出さなくなったのだった。

このあたりも、手話が日本語とは違う自然言語だとしても、なかなかイメージできませんよね。手話が母語の人が日本語もできるということは、僕のような日本語が母語の人が第二言語として英語が話せるようなものです。せっかく身につけた英語を意図的に話さなくなるなんて、変ですよね。

しかし、ここにも、僕が全然知らなかった深い闇があるのです。
 「親や教師が子どもを手話だけで教えると決めるのは、道徳的にまちがっている。なぜならそれは、子どもが話すことを学ぶ権利を奪うからだ」
 こうした発言は、みごとに私たちの発言と対をなしている。私たちは、ろう児に手話を与えないことこそが、子どもからことばを奪うことになると考えるからだ

実は日本の聾学校は、「口語主義」というらしいのですが、つい最近まで日本語の「音声」で日本語が理解できるようになることを目指していて、そのためにわざわざ子供の手を縛ってまで手話を使わせないようにしていたところまであったそうです。

手話を自然言語と認めさえすれば、これがどれほど大きなダメージを与えるかは、年少者日本語教育に関わっている人にはよく分かるでしょう。母語も第二言語もともに使えなくなっていまう「セミリンガル」とか「ダブルリミテッド」という状況になってしまうのです。そして、この本によると、実際に口語主義で手話を禁じられた聾者の知能は小学校3年生程度で止まってしまうことが多いそうなのです。

こうしたことが政策的に行われてきたことに、僕のような門外漢は非常に驚いてしまうのですが、逆に言うと、手話が自然言語であるという認識がなかったことから、もしかしたら第二言語習得の基本的な知見さえ、聾学校では共有されてこなかったのかもしれません。そしてもちろん、手話が言語であるという認識が広まるに連れ、このような聾教育の失敗には世界各地で批判が沸き起こります。
コンラッドの研究が公表されたのにつづいて、諸外国でも調査が行われたが、それらはみな不気味なほどに似通った成果≠示していた。世界中でおなじような事実がくり返されていたことに気づいたろう者は怒りをつのらせ、口話主義を「ろうのホロコースト」と呼ぶようになった。(Paddy Ladd, Understanding Deaf Culture, p.28)

私自身はこれまでの経験から、きわめて多数のろう児が本来発達させるはずだった精神活動の決定的に重要な部分を獲得できないまま、あるいは耐えられないほどに不十分なまま、口話教育の枠組みから外に出されてきたと捉えている。けれど口話教育の負の遺産の全体像は、だれにもわからない。この被害の底知れなさが、私にホロコーストということばを否定させないでいる。

「ホロコースト」という言葉は非常にショッキングですが、もし、今の日本の年少者教育で、門外漢の国語の先生などが善意から母語の学習を禁止などさせていたりしたら、それはその子どもの知的成長を小学校3年生で停止させてしまう犯罪に近い行為だということは、僕たち日本語教育の専門家が声を上げていかなければならないでしょう。

ところで、 日本語教育の分野の人間として、明晴学園の関係者の皆さんに1つ指摘しておきたいのは、手話は日本語とは違う自然言語であるという認識を持ちながら、外国語としての日本語学習法(教授法)がそれほど重視されていないように思えるところです。ちょっと長くなりますが、以下に関係する部分を引用します。
おなじく議論が紛糾したのが、「食べていました」につづいて出てきた、弁当箱を「落としてしまいました」という日本語である。「落としてしまいました」は「落としました」とどうちがうのか。
 かんたんだよ、とひとりのろう者が示したのは、手話で〈落としました〉と表現し、つづいてそれにNMM(Non-Manual Markers)とよばれる一定の表情をつけ、〈落としてしまいました〉に変化させることだった。うん、そうだなと、ろう者が合意したところでまた異論が出る。〈落としてしまいました〉のNMMは、「失敗した」「残念」という状況で使われるNMMで、ほかの場面で出てくる日本語の「しまいました」には使えない。だからこのNMMで日本語のちがいを説明すると、子どもたちは混乱するのではないか。
 
結局この日の議論から導かれたことのひとつは、手話と日本語は別の言語なのだから、もともと一対一で対応させようとすること自体に無理があるということだった。

この部分を見て、一般的な日本語教師だったら、「え?」と驚いてしまうのではないでしょうか。「〜てしまう」に複数の意味があって「落としてしまった」「早く宿題を終わらせてしまいましょう」の2つの「しまう」が違う意味だということは、一般的な日本語教育機関の職員室などではたぶん議論になることはないでしょう。(みんな知っていることなので)

 そういう意味で、聾学校に必要なのは、国語の教師ではなく、日本語教師なのではないかと思います。日本語教師にとっては新たな就職口にもなりますし、日本手話を母語とする聾児にとっては、母語ではない言語の教師としての専門能力を持つ教師から第二言語としての日本語を学ぶ機会にもなるわけです。

 ただ、もしかしたら、いまの聾者にとっては日本語を第二言語として学ぶより、アメリカ手話などを第二言語で学ぶことも考えてもいいのかもしれません。というのも、この本では、日本手話を母語とする聾者は、アメリカ手話などを数ヶ月でマスターしてしまうという記述があるからです。手話でない日本語や英語よりもずっと早く習得できるのだそうです。これまでは日本の聾者がアメリカの聾者とコミュニケーションする手段はかなり限られていただろうと思いますが、今ではスカイプやZoom、ハングアウトなどのテレビ会議システムがたくさんあります。英語のアルファベットが書けなくても、手話を録画して共有してしまえば手紙の代わりになります。これらを使えば、日本にいる人とアメリカにいる人が手話で話すこともそれほど難しくないでしょう。

 日本手話を母語とする人にとって、日本語よりもアメリカ手話のほうがずっと簡単に習得できるのなら、もしかしたら聾者のほうが聴者よりもずっと日本の国際化に貢献できる人材になれるのかもしれません。

 ということで、繰り返しますが、この本は一見、日本語教育とは関係ないように見えますが、実は「日本における少数言語話者が主役」である点と、「間違った教育制度がいかに甚大なダメージを学習者に与えるか」という点で、かなり深く僕たちの専門に関わってきます。単純に「面白い」という言葉で片付けられないほど、すごい本です。おすすめですよ。吉開さん、ご紹介ありがとうございました。

そして冒険は続く。

【参考資料】
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手話ということば もう一つの日本の言語 (PHP新書) | 米川 明彦 | 教育学 | Kindleストア | Amazon
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posted by 村上吉文 at 12:32 | 書評 | このエントリーをはてなブックマークに追加