2007年06月18日

日本語教育を卒業するとき

先日の一級合格者がもっと会話力を向上させる方法では、大事なことを書き忘れていました。一番に言いたかったのは、「アナタ、子離れできてないんじゃないですか?」ということです。

まず第一に、一級を持っていても学習者自身が特定の問題を抱えているとか、こちらから見て特定の弱点がある場合は、それを補うのは意味のあることでしょう。しかし、そういう場合は何をやるかははっきりしていますから、コースデザインに迷うことなんてありえません。

問題は、「これ以上、何を教えればいいのか分からない」という時です。というのも、ときどきオタク的な知識(ほとんど使われもしない四字熟語を詰め込んだりとか、「薔薇」とか手書きする指導とか)に走ったり、日本語関係なら「文学」と決め込んだりする例を見たことがあるからです。

もちろん、学生にも言語オタクや文学少女がいますから、そういう学習者に適切なコースを組むのはまったく問題ありません。しかし、「何をやればいいか分からないから適当に小難しいものをやってみる」というアプローチは、やっぱり違うと思います。

私は、そういうときには、「もう自分の役割は終わった」と潔く認めるのもカッコイイんじゃないかと思います。よく時代劇なんかで年老いた師匠が若い弟子に「もうワシがお前に教えてやれることは何もない」とか言うシーンがありますよね。ああいう感じです。しかも、一から自分が育てた相手だったりしたら、感慨もひとしおです。

そもそも一級を持っているということは、千時間近い努力をしてきたということで、特に海外にいたりしたら、それは本当にすごいことだと思います。そういう学習者に、そろそろ卒業時期であることを示してあげるのは、教師の最後の、そしてとても大切な役割なのではないでしょうか。

もちろん、学習者の成長や学習はそれからも続きます。しかし、一級を持っているぐらいなら、そこから先の目的は「日本語力の成長」ではなくて、「生き残る能力をつけるために日本語を使うこと」になるのではないかと思います。そしてそれは、本当に多様な方向性があって、たまたま教師と学習者の方向性が合っているときにだけ、教師がお手伝いできる余地が残されていると考えるべきではないでしょうか。

もし私がお手伝いできるとすれば
・日本語教師になりたい。
・日本で働くITエンジニアになりたい。
・日本語のブログやなどで情報収集や発信をしたい。
というようなニーズを持っている人になるでしょう。しかし、
・日本文学を極めたい。
・日本語で文学作品を発表したい。
・日本で介護士や看護士になりたい。
というようなニーズには応えられないのではないかと思います。ま、報酬次第では他の仕事をキャンセルしてきちんと勉強から始めますけど。

タグ:日本語教育
posted by 村上吉文 at 07:16 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
「なるほど」と心から納得。
私自身、とあるマイナー言語を数年間勉強したことがありますが、ある程度まできたら(日本語の一級とかよりはずっと下のレベルですが)、「先生に頼る」という感覚が自分には全くなくなっていたことに気づきました。

 日本語の先生って、よく言えば“世話好きで責任感が強い”・・・悪く言えば“おせっかい”な人が意外と多いのかも知れませんね。
 私の気のせいでしょうか?
Posted by 他言語学習者 at 2007年06月24日 23:25
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