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2016年05月18日

ティーチャー・トークに未習語をなくしてはいけない

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


Davis, doing teacher training

冒険家の皆さん、今日もチューバッカとハイパードライブ航法で宇宙を駆け巡っていますか?

さて、ここ数日で立て続けに「未習語彙を授業で使ってはいけない」という発言を若い先生から聞いて驚いています。というのも僕たちのような世代の教員でも、もうそういう認識はまれになっているからです。もし、日本語教師養成講座でそういうことを今でも教えているところがあったら、そこで、日本語の教え方を学ぶのはちょっと考えなおしたほうがいいかもしれません。まっとうな養成講座もたくさんありますので。

というのも、現代は以下の点で10年前とは大きく変わっているからです。
・未習の語彙に触れる機会が爆発的に増えた
・言葉の意味を一瞬で調べられるツールが普及した
・自律学習能力が必要になった
・教育観が大きく変わった

こういう変化はあまりにも目につきやすいので、論文を読むまでもなく、僕の知っている多くの現場では「未習語彙は使うな」という指導はほとんどされなくなりました。にも関わらず、養成講座を出たばかりの若い人が「模擬授業で未習語彙をいくつ使ったか指摘された」とか言っていたりするんですよね。これは由々しき事態ではないかと思っています。

もちろん、以前はそれでもよかったのです。
特に海外の学習者にとって、日本語は海の向こうの遥か彼方の国でしか触れるチャンスのない言語ですから、学習者は教科書と教員以外に日本語のリソースがなく、教員は完全に学習者のインプットをコントロールすることも可能でした。しかし、今ではネットの普及により、海外の学習者も多様な日本語のコンテンツに触れるようになっています。

また、昔は言葉の意味を知るのも紙の辞書などを使うしかなく、その辞書を手に入れるのも大変なことでした。当然、未習の語彙があったら教師が説明するか新語リストで対応するしかありませんでした。しかし、今では「rikaikun」を始めとするさまざまなツールが普及して、調べようと思ったら1秒か2秒で未習語彙の意味が分かるようになっています。つまり、テキストに多少の未習語彙があっても予習や復習、授業の進行に支障は出ません。

学習者が自分で学ぶ能力を育成することを重視するようになった変化も大きいでしょう。そのため、学習者の進度は多様になり、公式に未習語彙とされている言葉がかならず未知で、公式に既習語彙とされている語彙が必ず既知であるとは限らなくなりました。(そもそも、いつも必ずクラス全員が復習テストで満点をとるようなことはないのですから、こうして既習と未習を白と黒のように分けるという考え方自体がナンセンスなのではないかと思います)

しかし、一番大きいのは、「知識の量を増やす」ことよりも「できること増やす」という方向へ教育・学習観が大きく舵を切ったことでしょう。これは本当に大きな変化で、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)などもこうした教育観に基づいて書かれています。CEFRの日本語版が発行されたのはもう12年も前のことですし、今ではNHKの英語講座もCEFRに準拠しているぐらい普及しています。欧州で生まれたCEFRだけでなく、OECDのキー・コンピテンシーや米国の21世紀型スキルなどもその名前が示す通り「知識の量を増やす」ことよりも「できることを増やす」という変化は一致しています。

具体的にどう考え方が変わったかというと、こういうことです。たとえば人の話を聞くときも、プリントや看板に書かれてある外国語を読む時も、そこに未習語彙が人工的に排除されているなどということはありえないわけです。僕たち(外国語の環境にいる人たち)はそういう状況で買い物をしたり、PTAのイベントに参加したりしなければなりません。そこで「できること」を増やすには、未習語彙も既習語彙も混じっている外国語の中で、自分の知っている表現や文脈や言語外の状況なども総動員しながら、目的を達成するしかないのです。

たとえば僕がこのブログで何度も紹介している當作靖彦先生のソーシャル・ネットワーキング・アプローチなどでも、まず学習者をその言語の利用されている環境に入れてしまうことが推奨されています。

日本国内の日本語学校で大学進学のために日本語を教えている先生がたも、入試の問題に未習語彙が一つもないことなど想定していないことでしょう。そのような学習者を指導する現場に入っていく日本語教師を養成するなら、未習語彙を100%排除するような教え方が大きな問題をはらんでいることは自明なのではないかと思います。

それに、実はネイティブだって、耳に入ってくる言葉が全部聞き取れているわけではないんですよ。分からない表現は無視するように脳が働いているだけで、たとえば友達との発話を文字起こししてみようとすると、そういう部分はいくらでも見つかります。会話の途中では一切気にならないんですけどね。

ということで、あまり神経質に未習語彙を排除するのは、必要ないどころか、むしろ望ましくないことなので、日本語教師を目指している皆さんはそういうことを養成講座の先生に指摘されても気にしないでください。

そして冒険は続く。

【参考資料】
CEFRとは?|英語力測定テスト2016|NHK出版
http://eigoryoku.nhk-book.co.jp/cefr.html

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posted by 村上吉文 at 12:58 | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加

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