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2014年09月29日

まず目標ありきのコースデザインは正しいのか。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス




冒険家の皆さん、今日も冒険を楽しんでいますか?

さて、4年前にも似たようなことを書いたのですが、昨日、似たようなことを言っている学習者の動画あったので、もう一回書いておきます。それは「まず目標ありきのコースデザインは正しいのか」ということです。上の動画でも、最後のトピックで、「目標を設定するな。特定の目標を達成するために日本語を学ぶな」と主張しています。

僕の言う「まず目標ありきのコースデザイン」というのは、自分はこういうことができないから、それができるようになるために日本語を勉強したいです、というようなコースデザインです。これは自律学習の例ですが、機関による教育でも、そうした目標を学習者の立場で設定してコースデザインをすることがよくあります。

でも、それって違うんじゃないの?と思うことが時々あるんです。

なぜかというと、まず学習動機が違うからです。国際交流基金の機関調査では日本語学習目的の第一位は「日本語そのものへの興味」であって、就職や留学などの、いわば「能力ベース」の目的より高くなっているのです。機関学習者だけが対象の基金調査とは別に、吉開章さんが1000人を超える回答を集めた独習者も含む調査でも、同じ結果が確かめられています。

極論してしまうと、学習者は「これができるようになりたい」という目的があるから勉強しているのではなく、むしろそれが好きだから勉強しているのに過ぎません。「自己目的化してはいけない」とかいう話ではなく、最初から「自己目的」的なんです。繰り返しますが、それが複数の調査で動機の第一位になっているんですよね。

実は僕のハンガリー語学習も、そんな感じです。こちらに来てから一ヶ月ぐらいは、確かに街の表示などが読めずに、それらを写真にとって調べたりしていました。「デジカメ学習法」としてこのブログで紹介したこともあります。

しかし、ハンガリー語の語彙が増えてくると、もうあまり街の掲示には困らなくなるし、職場などではそもそも日本語が上手なスタッフばかりなのでハンガリー語を使う機会はありません。また、「ハンガリー語を使わずにタスクを達成する」というようなスキルも、いつの間にか身についてしまいます。

つまり、今の僕には、「これができないから、その問題を解決するために勉強している」という動機は全くありません。じゃあ、なぜやっているかというと、さきほど紹介した「楽しいから」という理由が一番です。そして、楽しいことをやっていると、その結果、それまでは気づいていなかった「できること」が増えてくるという結果がついてきます。つまり、自分に必要な能力をつけるために苦しくても頑張って勉強する、というのとはまったく逆なのです。

たとえば、最近はハンガリーの「Yahoo!知恵袋」のような相談サイトにコメントするのが楽しいです。「日本語」にあたるハンガリー語で検索した結果が、自動的に僕のメールアドレスに送られるように設定していて、日本語学習に関する相談に乗っています。もちろん、こうした経験はハンガリーにおける日本語教育の現状がわかりますので、単に楽しいだけでなく、仕事上も非常に役に立ちます。しかし、ハンガリー語を学習する前に、ハンガリーにはそういうサイトがあって、ハンガリー語ができるとそこで回答とかできるぞ!とは考えたこともありませんでした。

スティーブ・ジョブズもよく引用していましたが、アメリカの自動車会社「フォード」の創設者、ヘンリー・フォードは、自動車が普及していなかった当時、顧客にニーズを聞いていたら、「足の速い馬」としか言わなかったはずだと言っていたそうです。自動車も外国語も道具に過ぎませんから、外国語能力においても同じように、「手に入れて、初めてその便利さに気づく」という面はあって当然です。

そう考えてみると、コースをデザインするときに、「どうすれば短時間で問題を解決できる能力を身につけさせることができるか」という効率性だけでなく、たとえば「どうすれば娯楽として楽しんでもらえるか」というようなエンターテイメント性などにも注目できるようになるのではないかと思います。また、アニメなどのコンテンツを中心的な教材にする「CBI(Content-Based Instruction)という考え方ももう少し普及するかもしれません。

海外の公開講座などでは、コースの二年目は一年目の半分も学習者が登録しないということがよくあります。たった一年で半分以上の人が辞めていくのはどうしてなのでしょうか。自分に必要な課題達成能力が身についたから?あるいは転職などをしてそのニーズがなくなってしまったからでしょうか。違いますよね。自分の好きな学び方と、先生の教え方のギャップとか、あるいは速すぎる進度に追いつけなくなるとか、そういう問題があるから辞めていくのだと思います。そして、こうした問題は、「いかに効率的に教えるか」という視点ではなく、「いかに楽しく学んでもらえるか」という視点を導入することで解決できる可能性があります。

同じようなことは、福島青史さんが「孤立環境下の日本語教育では趣味の日本語こそが原動力だ」というようなことをおっしゃっていました。ウズベキスタン(と言っても10年ぐらい前の話ですが)のように日本語を学んでもあまり使う機会のない地域でも、日本語を学んでいる人はいたのです。そこで、茶道や剣道を学ぶように、日本語という言語を学ぶことに意味がないはずがないのです。

僕は他の言語に比べて日本語だけが特別に美しいとは思いませんが、一般に語学を学ぶことは楽しいとは思いますので、各種の調査で「日本語そのものへの興味」が学習動機の一位になるのは非常によく理解できます。学習者が日本語の宇宙を楽しく探索できるように、これからも支援していきたいと思っています。

なお、言語に関する知識を単に学習者に移植するだけが語学教師の仕事だとか思っている人たちもいますが、「日本語そのものへの興味」をかきたてるのはそういう方法ではないと思っています。むしろ、そういう古くさい考えへのアンティテーゼとして課題遂行能力を重視した教育方法を提唱するのは、もっともだと思っています。

そして冒険は続く。

(自分のブログなのになぜかコメントが拒否されるので、できればGoogle+Facebookツイッターなどにコメントをお願いします)

【参考】
むらログ: コンテンツベースとか内容本位とかの日本語教育
http://mongolia.seesaa.net/article/146664558.html

国際交流基金の日本語教育機関調査2012
http://www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/result/dl/survey_2012/2012_s_excerpt_j.pdf

むらログ: スマホとクラウドが可能にした「デジカメ学習法」とは?
http://mongolia.seesaa.net/article/385913368.html

福島青史「孤立環境における日本語教育の社会文脈化の試み」
http://www.jpf.go.jp/j/japanese/survey/bulletin/02/pdf/04.pdf
posted by 村上吉文 at 00:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 主張 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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