2014年04月30日

知識のコピーではなく、コミュニティーの育成を

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


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冒険家の皆さん、今日も「空から女の子が!」と親方に叫んでいますか。
さて、さきほど素晴らしい記事を見つけたので、ご紹介します。以下の記事です。
タブレットを使った教育がすんなり浸透するとは断言できない。端末代金の負担に加え、大きな問題なのが教員のスキルだ。
 教育関係者は「中学校1、2年生くらいまでは、情報端末の使い方を指導すれば聞いてくれる。ところが3年生くらいになると、子どもたちの方が知識量で上回ってしまう」とため息をつく。「また、端末を使い込んでいる子どもがクラスに一人でもいると、最新情報が瞬く間に生徒間で共有される。教師は一瞬で追い抜かされてしまう」(教育関係者)
http://ascii.jp/elem/000/000/888/888938/

みなさんもそうかもしれませんが、僕も最初は、「まじかよ、だらしねーな」ぐらいにしか思いませんでした。でも、よく考えてみるとこれって素晴らしいことなんじゃないでしょうか。だって、先生が教えなくても自律的に成長していくことができるということなのですから。

ただ、この記事で見る限り、そこには3つの条件が必要です。

一つは情報共有できるようになるまでのITスキル。そして情報を共有するコミュニティ。最後に、そのコミュニティに端末を使い込んでいる子ども、つまりリーダーがいることです。

つまり、まず必要な教員の仕事はコミュニティに参加できるまでのITスキルを身につけさせることで、これはこの記事を読む限り中1と中2のレベルだけで良さそうです。

そして、その次にコミュニティの作り方を指導すること。僕の今までの経験では、教師が自分でコミュニティを作ってしまうよりも、コミュニティの作り方を指導して自主的に運営させるほうが活発になる傾向があるようです。もちろん、自主的なコミュニティが生まれなければ、教師が自分でコミュニティを作ってしまえばいいでしょう。最近だったらLINEとかでしょうか。

3つ目の条件である「端末を使い込んでいる子どもがいること」はちょっと難しいですが、もともと教員の代わりになってしまうことを危惧するぐらいなら、そういう子どもがいなければ教員が自分で情報発信すればいいだけのことです。とは言え、教員から教わるよりも同級生から教わるほうがずっと効率はいいでしょうから、そういう子がいたほうがいいのは確かですよね。その場合は、そういう素質のありそうな子に、教員が「俺はITが苦手で困っているんだ。でもお前ならみんなに教えてあげることができるんじゃないか」とか期待をかけるだけでもかなりの効果がありそうです。

期待をかけることの効果というのを僕はあまり考えてこなかったのですが、最近読んだ『リーダーシップ3.0』という本にこんなことが書かれていました。
MITのデビッド・E・バリューとダグラス・ティー・ホールはAT&Tのマネージャークラス社員の調査を行った結果を発表している。(『ピグマリオン・マネジメント』) それによれば
 ・昇進のスピードは各人の期待度への大きさにほぼ比例
 ・初年度に会社から期待されたことと、業績・昇進度の相関は0.72
である。一流大学出身の新入社員を無作為にブループ分けし、一つのグループには「君たちは幹部候補として採用したのだから大いに期待している」と伝えた。もう一つのグループには何も言わなかった。その結果、前者のグループに属する社員たちは高い業績を上げ、順調に出世していったが、後者のグループに属する社員たちはそうなるものが少なかったのである。

冒頭の記事に出てくる、「子どもたちの方が知識量で上回ってしまう」とため息をついている教師は、おそらく「教師は知識量で上回っているべき」、つまり「教師は知識のリソースであるべき」と認識しているようですが、実は情報というのは簡単に入手できる時代になっているので、今の時代の教師の役割というのは知識のリソースであることではなく、冒頭の記事から考えると、以下の3つということになるのではないでしょうか。
1.コミュニティに参加できるようになるまでのITスキルを身につけさせる。
2.コミュニティを作る。できれば、自主的に作るように働きかける。
3.コミュニティーにリーダーがいなければ、リーダーを育てる。
もちろん、「1」の段階では教師は知識のリソースである必要があるわけですが、多様化、かつ高度化した現代のニーズを満たすには、教師がすべての知識のリソースでありつづけることは現実的ではありません。また、学習者にとっても、学校を卒業してからも常に学び続けなくてはいけない時代になっています。つまり、先生がいなくても自律的に学べなければ、すぐに時代遅れの人間になってしまうのです。

教師にとっても、学習者にとっても、すべての学習者が学ぶべきすべての内容を教師が教えるタイプの授業を続けるよりも、このようにコミュニティーを通して自律的に学習していくことを推奨していくことが望ましいのではないでしょうか。

そして冒険は続く。
posted by 村上吉文 at 14:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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