2007年04月05日

被告人は「日本語」

時々、こういう主張があってびっくりするんですが、昨日の天声人語も井上ひさしさんの言葉を借りて
戦争を遂行し、支えた多くの人が、戦後、責任をすり抜けて遁走(とんそう)した。それを助けたのは、主語なしで成り立つ日本語だった
としています。その例として原爆死没者慰霊碑の碑文を挙げています。
広島に原爆死没者慰霊碑がある。その碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」をめぐって「主語論争」があった。過ちを犯したのは日本なのか、アメリカではないのか、などと批判がわいた。いまは「人類」を主語とすることで多くに受け入れられている

しかし、We never make a mistake again.と英語で書いたら過ちを犯したのが誰かはっきりするのでしょうか。何も変わりませんよね。

要するに、日本語であろうと英語であろうと、書く人が曖昧なら曖昧にしか書けないし、明確な意味を理解している人だったら明確に書けるわけです。特定の人物でなく日本語という言語の責任にしている人こそが、実は責任の所在を曖昧にしているのではないでしょうか。

もう一点は、教科書検定の件です。これは知っている人は知っていると思いますが、日本語教育関係者なら押さえておくべきポイントだと思うので、ここにも書いておきます。
太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団死(自決)について、日本軍が強いたものもあった、とする表現に文部科学省が意見をつけた。来春の高校教科書から「日本軍」という“主語”が消えることになった。

この件に関しては「赤松嘉次」「照屋昇雄」「ある神話の背景」などのキーワードでグーグルを検索してみるとだいたいのところは分かると思いますが、照屋さんの昨年の新証言以来、まだホットな論争中であって、議論に決着が付いたとはとても言えない状況にあるわけです。

ちなみに、どういう論争かというと、赤松さんは集団自決を強制した極悪非道の人物なのか、そう理解されるの承知で「軍命を出した」とうそを言って島民に軍属遺族年金を支給させたのか、ということです。

文中で
これまでの検定では合格していた表現なのに、今回初めて意見がついた。「美しい国」を掲げる政権の意をくんだかと、かんぐりたくもなる。
とも書いていますが、これは照屋昇雄さんの新証言が昨年あったからであるのも自明なはずです。

たしかに責任をうやむやにしてはいけないと思いますが、しかし、赤松氏の遺族らによる裁判も終わっていない中で、教科書に載せるべきなのかには疑問を感じます。まして、真実を伝えるべき報道機関が、結論の出ていない問題をこのように「まず結論ありき」で報道しているのでは、さらに真実の究明は遠のいてしまうのではないでしょうか。


劇作家の井上ひさしさんは昨夏、先の戦争責任をテーマにした「夢の痂(かさぶた)」を舞台に載せた。書き進めていくうちに、日本語を“被告人”にすることになったという。

 「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だから」。戦争を遂行し、支えた多くの人が、戦後、責任をすり抜けて遁走(とんそう)した。それを助けたのは、主語なしで成り立つ日本語だったと、井上さんは思う。

 広島に原爆死没者慰霊碑がある。その碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」をめぐって「主語論争」があった。過ちを犯したのは日本なのか、アメリカではないのか、などと批判がわいた。いまは「人類」を主語とすることで多くに受け入れられている。

 06年度の教科書検定の結果が先ごろ公表された。太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団死(自決)について、日本軍が強いたものもあった、とする表現に文部科学省が意見をつけた。来春の高校教科書から「日本軍」という“主語”が消えることになった。

 修正後の表現は状況があいまいで、住民が自ら死を選んだ印象が強い。これまでの検定では合格していた表現なのに、今回初めて意見がついた。「美しい国」を掲げる政権の意をくんだかと、かんぐりたくもなる。

 様々な出来事の責任をうやむやにすれば、行き着く先はお決まりの「戦争のせい」「時代が悪かった」という、あきらめの強要だろう。だが戦争を起こすのも時代をつくるのも、それぞれの立場でかかわる人間にほかならない。


posted by 村上吉文 at 08:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このエントリーをはてなブックマークに追加
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