2013年08月15日

それはオンラインであり、教室ではない。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


Videochat


同じコースでも、オンラインで修了した人と、対面式の授業を修了した人の成績を比べると、オンラインで修了した人のほうが成績が良いという統計がたくさんあります(たとえば http://goo.gl/rk4khttp://goo.gl/hQrCua 1659ページなど)。その一方で、モニター越しのコミュニケーションが、実際に対面するコミュニケーションの力に勝てるはずがないから、対面の方が教育効果は高いはずだという特にベテランの世代の先生方の声もよく聞きます。これって、どちらが正しいのでしょうか。

僕自身も、教室型の授業はもちろん、オンラインのコースをやったことがありますからよく分かるのですが、この2つの主張はどちらも正しいと思います。

というより、もしきちんと対照実験をして、同じ学生グループにオンラインの授業と対面の教室型の授業を同じ教師が同じ時間だけしたら、対面型のほうが成績はいいんじゃないでしょうか。当然ですよね。同じ空間を共有していれば、内職も昼寝も早弁もできないし、先生に見つかったらチョークが飛んできたりするかもしれないんですから。あるいは、もし山ピーみたいなイケメンの先生がいたら、モニター越しに勉強するのより、目の前から話しかけてくれる方が、女子学生はずっとドキドキするでしょう。

では、なぜ同じ授業をオンラインで参加してくる学生の方が成績がいいなんていう統計が出るのでしょうか。

■ 飢えているオンライン参加者
それは参加する人が違うからだと私は思います。

参加する人の能力が高いのか、というと、もしかしたらそういうこともあるかもしれません。オンラインで授業に参加するには、ある程度のITリテラシーは必要ですから、それを身につけている人と、一般人を比べたら、当然、前者のほうが能力は高いでしょう。

でも、大切なのはそんなことではありません。

オンラインで参加する人は飢えているのです。知識に。機会に。学びに。本当にひしひしと感じますよ。そこが対面式の授業とは全く違うところです。なぜなら、彼らには他に学ぶ機会がないからです。

たとえば国際交流基金カイロ日本文化センターが実施したオンライン日本語中級講座。ここに参加してきたのは、そのほぼすべてが中級レベルの日本語を学ぶ機会がない人たちでした。中東では初級までは勉強できても、その後の受け皿が用意できていないところがいくつかあり、そういう地域の日本語学習者が一斉にアクセスしてきたんですね。

これと全く同じことは『イノベーションのジレンマ』で有名なクレイトン・クレステンセンの『教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する』にも書かれています。こうしたイノベーションというのは、フォーマルな教育制度に真っ向から衝突する形で始まるのではなく、こうしたニッチな市場から始まるのだと。そして、次第にシェアを伸ばしていき、ある転換点を超えると一気にそれが主流になるのです。

こうした背景にあるのは、何度も書いていますが学習者や教員の多様化、もしくは多様性です。以前は中東の地方都市で日本語を学ぶ人がいるとか、あるいは過疎化の問題でNHKに報道されてしまうぐらいの日本の田舎で毎朝ジョギングしながらハンガリー語を聴き込んでいる46歳の男がいるなんて、あまり考えにくかったのではないでしょうか。

それにくらべて、日本語教員は以前から非常に多様でした。僕自身も、能が踊れる先生とか、空手ができる先生とか、劇団員だった先生とか、茶道の免許を持っている先生とか、絵本を出版している先生とか、いろんな先生方を知っています。他の業種から転職してきた人も多いので、銀行や病院の現場に詳しい人や、ITシステムの開発に詳しい人なんかもたくさんいます。

しかし、以前はそれらの需要と供給を結びつける手段がなかったのです。

たとえば、もう十年も前のことですが、僕はモンゴルでITエンジニアに対する日本語教育のコースを担当したことがあります。しかし、それはたまたまそのコースが開かれた組織に僕が属していたからであって、僕にはシステム開発の業務経験などまったくありませんでした。僕にとってはこのコースで得られた経験は他に代えがたい貴重なもので、そのあと、それが元になって教科書を出版することもできたのですが、しかし、今だったらあのコースを担当できただろうか、と不安になります。今ならモンゴルでも首都ならブロードバンドが通っていますし、学習者は全員こうしたツールを使い慣れているITのプロですから、システム開発企業に務めていて、かつ日本語教師の経験も何年もあるような人が東京から全部指導してしまったりすることも技術的には簡単にできるのですから。ソーシャル・メディアを使えば、そうした教員を見つけることも簡単できますし。

そして、ここ数年の急激なICTの発展により、こうした学習者たちの多様なニーズと、教師の多様性を結びつけることが可能になってきているのです。

くどいですが、ウィル・リチャードソンの例のセリフを、ここでもまた紹介しておきましょう。
Inherent in the collaborative process is a new way of thinking about teaching and learning. We must find our own teachers, and they must find us. In fact, in my own kids' lives, I believe their best, most memorable, and most effective teachers will be the ones they discover, not the ones they are given.
http://www.edutopia.org/collaboration-age-technology-will-richardson

試訳
協同的な課程に本来備わっているのは、教育と学びについての新しい考え方です。私たちは自分の教師を見つけなくてはならず、彼らも私たちを見つけなくてはならないのです。実をいうと、私の子どもの世代では、彼らの最高で、最も忘れられない、最も効果的な教師とは、あてがえられた教師ではなく、彼ら自身が発見した教師になると、私は信じています。


たとえばプログラミングを日本語で学びたいというフランス語が母語の学生だったら、この間ケニアから帰ってきたばかりの蟻末さんよりいい指導ができる人はいないでしょうし、こうしてソーシャル・メディアで情報発信しながら日本語を勉強したいモンゴル人学習者だったら、悪いけど僕よりいい仕事ができる人ってあんまりいないんじゃないかと思います。

■ 勝者がすべてを持っていくネットの競争社会
さて、ここから先はちょっと憂鬱な話なんですが、「そんなこだわりのない学習者もいるだろ」というツッコミについて。

そう、そんなにこだわりの学習者もいます。たとえば僕はもし、いい機会があったら政治学の話とか聞いてみたいな、と思っていたりします。もうエジプトで革命やらクーデターやらいろいろありましたからね。でも、別に「21世紀初頭におけるエジプトの政治」とかじゃなくて、何となく漠然と政治学っていうものが分かっていたほうが、今の状況が見えやすいんじゃないかなという感じです。先生なんか、特にどんな人でもいいから、近くの公民館の公開講座でもあればいってみようかな、という程度です。

と思っていたら、コーセラであるじゃありませんか。オンラインコースの大手コーセラが、政治学のコースを準備しているんですよ。しかも、講師は藤原帰一教授。(https://www.coursera.org/todai

僕はこの人がカイロに来るまで名前も知らなかったんですけど、職場が主催する講演会があったので、参加してみたんです。で、その後、夕食をご一緒する機会があったんですが、とにかくすごいですよ。分厚い原稿のような紙の束と講演の内容が随分違っていたので聞いてみたら、カイロについてから現地の話を聞いて、大幅に書き直したんだそうです。もうそこで、「あの講演をたった一晩で作ったのか!」と腰を抜かしそうになってしまいますが、要するにもうぜんぜん違うんですよ。我々一般人の知性が水道の蛇口からちょろちょろと流れ落ちる水だとしたら、藤原先生は消火栓です。口を開くだけでドバーッと知性がほとばしってきて、あたりが洪水になってしまうような感じなんです。

それで、コーセラのウェブサイトを見ながら、ふと考えこんでしまいました。近くの公民館の一般講座に参加してみたら、それなりに頭のいい先生が来て、それなりに面白い話が聞けるでしょう。近くの大学の教授とかね。そして、もしかしたら僕が手を上げて質問したら、一度か二度は答えてくれるかもしれない。でも、それでも藤原先生の一方的な講義よりも、その多少は双方向な講義を自分は選択するだろうか、と。

ありえないですわ。しょうじき、ありえない。

もし、本当に双方向性を重視して話を聞くんだったら、政治学専攻のそれなりに有名な大学の4年生か院生ぐらいに一対一ぐらいで話を聞かないと、双方向性の意味がないと思います。あ、そりゃもちろん藤原先生とまでは行かなくとも近くの大学の教授に一対一とかで話が聞ければおもしろいでしょうけど、それはまず機会がないでしょうが、4年生とか院生ぐらいなら、ソーシャル・メディアで簡単に見つけることはできるでしょう。もちろん、晩御飯をごちそうしながらとか、そういう見返りは必要でしょうけど。

そうでなくて、何十人もいるような教室で話を聞くんだったら、それはモニターで一方的に話を聞くのとほとんど変わらないでしょう。そういう教室で、それなりに頭のいい教授の話を聞くのと、その分野のスター教授の話をネットで聞くのでは、もう最初から勝負が付いていると思います。

そう、これもいつも言われる言葉ですが、ネットではWinner takes all.なのです。特にこだわりのない学習者が対象の場合は、たった一人の勝者がすべての利益を持って行ってしまうのです。だってネットでは誰でも講義にアクセスできるのですから。それは教育界でも同じだと思います。

とは言え、実際には「こだわりのある学習者」と「こだわりのない学習者」がきっちりと二分されるわけではなく、その中間に「どっちかというと母語話者の先生のほうがいいな」とか「どっちかというと男の先生のほうがいいな」というような学習者もいるはずですから、それぞれの市場ができるでしょうが、それぞれのセグメントで勝者がすべてをさらっていってしまうのは同じ事だと思います。

もちろん、外国語学習の分野は一方的に話を聞くだけでは理解はできるようになっても、話したり書いたりはできるようになりませんから、一方通行ではない双方向性の教え方をする教員の仕事がゼロになることはないと思います。ただ、その場合もネット時代には世界中がライバルになるということを避ける事はできません。つまり、双方向性の高い授業をできる先生の方から順に仕事が埋まっていき、それも、その先生を受けられる学習者は高い学費を払える人だけに限定され、あとは人気のある先生の順に、高い学費の払える順の学生が仕事を埋めていき、最後の方は人気はないけど安いから教えてくれる先生が仕事を取り、そのあとは僕のように「日本に興味のあるハンガリー人なら誰もでいいから無料で誰か話し相手になって」という学習者と、ボランティアがつながっていくことになるのではないでしょうか。

もちろん、その間のどこかに「世界で一番人気のある先生ほど高い授業料は払えないけど、ちょっとはお金を払うので実際に会って教えてほしい」という学習者も一定数は残ると思います。学習スタイルも多様なので、「対面でなければいや。イケメンじゃなくてもいいから。」という人もいるでしょう。

でもそれ以外の理由で、たとえば「ビザをこの学校に出してもらったから他の学習方法に変えられない」とかいう学習者に教えているのは、単に制度上の壁に守られているだけで、自分の実力で仕事をしているわけではありません。そういう学校、そしてそこで胡座をかいて自己研鑚を忘れた教員は、ソーシャル・メディアで学ぶことが主流になるごく近い未来には、生き残れないのではないかと思います。

■ 若い世代にはビッグチャンス!
その一方で、こうしたソーシャル・メディアで学ぶのが中心になる時代には、若い人にとっては大きなチャンスになるのではないかと思います。若い世代は基本的にスマホやタブレットなどに恐怖心を抱かないので、必要があればすぐに使い方を習得しますし、それ以上に有利なのは組織の壁に守られていないという点です。

組織の壁に守られていないのがなぜ有利なのかというと、キャリアの最初からソーシャル・メディアでセルフブランディングをしながら仕事ができるからです。ボランティアの時代からプリントなどの成果物や、授業の動画そのものも相手に了解を得れば共有することができます。そして、そういうアイデアを自然に吸収することができる世代です。

これが、僕達の世代の教師になると、ソーシャル・メディアそのものが理解できていないので、何か一つ関係する事件を聞いたら、「ひぇー!」と叫んで両手を振り回しながら全速力で逃げていってしまう人が多いのです。その事件の原因は何か、それは自分とも共通している問題なのかとかいう思考をする暇もなく、一瞬で走り去ってしまいます。はっきり言って、ソーシャル・メディアで学ぶ時代になったら、40代以上の教員で、もっと若い世代の競争相手になりうる教員は一割もいないんじゃないでしょうか。

繰り返しますが、ソーシャル・メディアの時代には、実際の教室で行う対面授業よりも、オンラインが中心になるでしょう。なぜならその方が、需要にあった授業を供給できるようになるからです。つまり、スター教師が「こだわりのない」学習者をさらっていってしまうのと同時に、一人ひとりの学習者が「自分にとっては世界で一番の教師」とハングアウトなどを通して一対一でつながることができるようになる時代です。それはたぶん、教室であてがわれた教師と学ぶよりも、はるかにエキサイティングな経験になるはずです。そして、教員にとっても、自分のやり方に興味のない学習者に無駄な時間を消費するよりも、はるかに達成感のある仕事になるのではないでしょうか。
posted by 村上吉文 at 09:34 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日本語hacks! | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
全速力で逃げようとする自分の前に壁を置いて逃げられないようにしています(^_^;)タスケテ~

個人の実感では、こちらが講師の場合プライベートの対面とオンラインでは、オンラインのほうが疲れます。お互いにビデオでにらみ合ってる(見つめ合ってる)ので、逃げ場がない感じがします。

こちらが学生の場合は講師の方によりますが、私は出不精なのでオンラインのほうが楽です。質疑応答の時間があれば文句はまずないです。講師の方のファンの場合は対面がいいです。
Posted by baku at 2013年08月15日 14:20
一対一はオンラインでも対面でも疲れますよねー。お互いに勝負みたいなところがあるし。BAKUさんの試みも応援していますよ。
Posted by 村上吉文 at 2013年08月15日 19:42
 強制されても、単位がもらえるわけでもないのに、オンラインで参加する受講者は、これまで(38時間)に、本当に伸びました。おっしゃる通り、そういう人たちの近辺には、いわゆる中級以上を学べる所がないのです。

 目下の悩みは自分のこの方面の知識が足りないこと。日本で書物をさがしましたが、ネットで探す方が速いです。アプリの使い方次第で、オンライン教育の手法も、どんどん拡がりそうだし。

 それに、1期(3カ月、約20時間)終わった受講者が、「卒業」してしまってリピーターになってくれないことも悩みです。20代のピンナップガール張りの助手を(半分本気で)雇いたいぐらいです。

 1年前は「教師だし、対面授業じゃないと」と思っていた私ですが、二者択一ではないな、と思うこの頃です。始める前に村上さんのこれまでのアピールに動かされたのはもちろんです。これからも、どしどし発信お願いします。
Posted by michiyot at 2013年08月15日 22:01
 強制されてもいないし、単位がもらえるわけでもないのに、続ける人は本当に伸びました。3カ月+3カ月、約50時間のコースです。おっしゃる通り、近くに学べる場がない人です。

 目下の悩みは、自分のこの方面の知識が足りないこと。日本に帰って探しましたが、残念ながら『サルでも分かるオンライン講座』なんてなく、ネット上のほうがまだいいです。

 それに1期が終わった人がリピーターになってくれないことも。マーケットが狭いのかな…、少数でも逃さないことに力を入れるのかな、講師(私)がぱっとしないからかな、と逡巡しています。courseraの修了率は1%にも満たないそうです。だから安心というのではないですが。

 いずれにせよ、1年前「やはり教師は対面じゃないとね」と思っていたときとは認識が大変化しました。対面・オンラインの二者択一でなく、真に必要とする人に見合った内容を提供したいと思います。

 村上さんの発言にインセンティブを与えてもらっています。これからもよろしくお願いします。
Posted by michiyot at 2013年08月15日 22:16
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