2013年08月10日

それは「リスク」であり、「温室」ではない。(1)

shark

ソーシャル・メディアで日本語を勉強すると聞くと、不安そうな顔をする教師が時々います。
そりゃ、そうですよね。テレビをつければインターネットを使った犯罪の話とか、携帯電話で振り込め詐欺にあった話とか、よく聞きますから。ですから、「ネットで勉強できる」と聞いて自分たちの学習者のことを心配する人がいるのは当然です。

それでは、ソーシャル・メディアで日本語を学ぶことに、リスクはあるのでしょうか、ないのでしょうか。

答えは簡単です。リスクはあります。

でも、ここで「ひぇー!」と叫びながら両手を振り回して走って逃げていってほしくないのです。それは明らかに間違った反応です。人間としては当然な反応でもありますが、間違った反応です。

これはソーシャル・メディアで日本語を学ぶということに限った話ではないのですが、一つの選択肢にリスクがあるというとき、考えてほしいことが一つあります。それ以外の選択肢は、よりリスクが少ないのか、ということです。

たとえば僕がいつも言っている例ですが、道を歩いていて交通事故に遭うリスク。

このリスクを避けるには、家から出ないという選択肢があります。家から出なければ、道を歩いていて車にひかれるリスクはありません。でも、買い物もできず、友達は家まで来てくれる子供だけ、学校はソーシャル・メディアで代用するとして(しつこい)、たぶん就職もできないでしょう。それでいいのでしょうか。それでいいのなら、交通安全指導は簡単です。「家から出るな」とだけ言えばいいのですから。でも、そんな交通安全指導はありませんよね。

同じように、ソーシャル・メディアで日本語を学ぶという時に、そこにリスクがあるからと言って、それだけで選択肢から外してしまうのは大きな間違いです。まず、新しい学習方法にどのようなリスクがあるかを考え、従来の学校型の教育のリスクより高いのか低いのかを比較しなければなりません。

それでは、ソーシャル・メディアで学ぶには、どのようなリスクがあるのでしょうか。

■ たいへん! こどもたちがネット犯罪の餌食に!
まず、先生方や保護者が心配するのは学習者が犯罪者の餌食になってしまうということです。
ただ、警察庁の資料(http://goo.gl/9bmlKL)によると、一時はよく報道されていた「出会い系サイト」で犯罪被害にあった児童は減少傾向にあり、その後問題視されていた「コミュニティサイト」も2011年のはじめに減少に転じたとのことで、2012年上半期にコミュニティサイトに起因する被害児童は509人だったそうです。(この資料は上半期だけなので、年間に換算すれば2倍の1018人)

ところで、こういう犯罪の犠牲者になった被害者たちというのは、きちんとその危険性を学ぶ機会があったのでしょうか。言うまでもありませんが、「ネットは危険だ。アクセスするな」というのは「道路は危険だ。家から出るな」というのと全く同じで、その非現実性からリスク軽減の効果は期待できません。きちんと危険性を指導することができれば、こうした被害はもっともっと減らせるはずです。ソーシャル・メディアを学校の教育が充分に活用するなら、とうぜんこうした危険性も授業中に取り上げるはずで、そうなれば出会い系サイトなどで傷つく被害者もいなくなるのではないでしょうか。

さて、もうひとつ検討しなければならないことは、ソーシャル・メディアを使わない従来の教育システムは安全なのかどうか、ということです。当然ですが、学校の中でも犯罪は起きます。いじめによる自殺は後を絶ちませんし、わいせつ教師による被害などは最近ではニュースにもならなくなってしまいました。しかし、同じく警察庁の統計(http://goo.gl/LZP6N)によると平成23年の刑法犯は教員が526人もいるのです(交通関係は除く)。また、文科省の調査では平成23年度のいじめの認知件数は7万を超えています(http://goo.gl/D5L1JU)。また昨年度中の体罰は6,721件にのぼり、そのうち1116件で被害者は骨折や鼓膜損傷などの外傷を受けたことになっています。(http://goo.gl/gC6GZO

 前述のコミュニティサイトに起因する被害児童が年間換算で1018人だったことを考えると、むしろ体罰で外傷を受けるリスクのほうが高いことになりますね。決して、従来の教育システムがソーシャル・メディアよりも子どもたちにとって安全だと断言できる状況ではないことが分かるのではないかと思います。

こうしたリスクを比較する際にもう一つ注目しておきたいのは、ソーシャル・メディアを利用していれば、「言った」「言ってない」という水掛け論がなくなるということです。個人的なメッセージなどはパスワードがないと見られないようなこともありますが、それでも証拠としては有効ですし、SNSのグループ機能などを使っていれば、複数の人が目にする公共空間になりますから、そこに書き込んだことを「書いてない」などと否定することはできません。先月、名古屋の中学生が自殺した原因として、担任の教師が「自殺できるものならやってみろ」と言ったとか言わなかったとか騒がれていますが、こうした密室の中の不透明さがなくなるのです。

また、犯罪にかかわる内容であれば、警察がIPアドレスなどから発信者を特定することができます。普通の書き込みなら警察がプロバイダーに「こいつの発信元を教えろ」と言ってもプロバイダーには情報開示義務はないのですが、犯罪にかかわることなら発信元を警察に教えなければならないのです。ですから、たとえば郵便で「お前の娘をさらった。返して欲しければ3億円払え」と脅迫される方が、ネットで脅迫されるよりもずっと犯人を特定しにくいのです。ネットならどのケータイで「おじさんと援交しよう」と投稿したのかまで追跡できますが、郵便はどこで投函されたかまでしか分かりませんから。

■ まあ!わたしの学生がこんなケガラワシイ言葉を・・・
しかし、実際にはほとんどの人間はごくまっとうな市民ですから、犯罪に巻き込まれる確率はそれほど高くありません。それよりも先生方が直面しやすいリスクというのは、もっと教育上の問題ではないかと思います。

たとえばソーシャル・メディアによって「悪い日本語」を覚えてしまうのではないかとか、日本人と喧嘩をして勉強する意欲を失ってしまうのではないかとかいうことです。

みんなが同じ教科書を使って同じ進度で勉強する一斉授業と違って、ソーシャル・メディアで日本語を学ぶ場合、そういうリスクはたしかにあります。

たとえばYouTubeで日本語の授業の講義の動画を公開している、あるアメリカの学校のチャンネルでは、誰でも入れるチャットルームに教員が入って、そこにいた、おそらく高校生ぐらいと思われる日本人の若者に日本語の文字チャットで話しかけたことがあるのですが、その時、相手がアメリカ人だと分かったその日本人の若者は、何か英語で書かなければならないとでも思ったのか、いきなり「My pennis is big.」と書いたのです。(今ちょっと分からなくなってしまったのですが、URLが分かったら後でご紹介します)

そのアメリカ人日本語教員はその書き込みに爆笑して、「そう、これが人間なんだよ。教科書じゃないんだ」と言っていましたが、すべてが予定調和の世界である教科書と違って、ソーシャル・メディアでは、確かにこういう書き込みを目にするリスクというのはあります。

また、たとえばYouTubeにはいわゆる「汚い日本語」で話している動画などもたくさんあります。うちの息子もゲームが好きなので、ゲームをプレイしているところを実況した動画などをよく見ているのですが、「何だ、このババァは」など、親としては眉をひそめたくなるような表現がたくさん聞こえてきます。そして、明らかにそこで覚えたらしき不適切な語彙を自分の姉に向かって使っていたりすることもあり、本当にこうしたコントロールされていないメディアの悪影響は大きいと思います。

ただ、彼が覚えていたのはそれだけではなかったのです。「実況プレイ」と呼ばれるその手の動画を何度も見ているうちに、息子は「僕も実況プレイを撮りたい」と言い始め、僕がビデオを回してやったことがあるのですが、それまで見てきた実況プレイのように自分なりに説明を始めると、その日本語が「次はここを見ていただきたいんですが」などと敬語が入っていたりして、家族や友だちと話すときの日本語とは明らかに違うのです。(http://goo.gl/fhWeuj

つまり、ソーシャル・メディアによって日本語を学ぶ際、確かに悪影響は無視できないものの、よい影響もあり、禁止してしまえば悪い影響だけでなく良い影響も受けられなくなってしまうというリスクもあるのです。そして、完全にコントロールされた教科書だけでは、たとえばうちの息子にとっての「実況プレイ」のように学び手のニーズにぴったり合った日本語を提供することはできませんから、学習時間自体が減ってしまうことになります。ソーシャル・メディアの「汚い日本語」に触れるデメリットと、「よい日本語」にふれるメリットだけを比べればどちらが大きいのかは判断に迷うところですが、禁止して日本語に触れる時間自体を減らしてしまうのでは、外国人学習者の場合はデメリットのほうがはるかに大きいのではないでしょうか。(日本人家庭の子供の場合は他にも日本語に触れる機会はたくさんあるでしょうから別ですが)

なお、僕が何度も引用しているウィル・リチャードソンはその講演「Learning in a Networked World: For Our Students & for Ourselves」(http://goo.gl/dT0KP)の中で、このように言っています。
「世界には20億人のネットユーザーがいる。教育関係者はこれを20億人の犯罪予備軍と思っているが、私は先生になってくれる人が20億人いると思っている。私は私の子供がネット上で他人に見つけられることを望んでいる」

つまり、もしソーシャル・メディアで日本語を学ぼうとしている学習者がいた場合、日本のネットユーザーの一億人が彼らの話し相手になってくれる可能性があるのです。

確かにそこにはある程度のリスクはありますが、それは従来の教育方法に比べて必ずしも高いとはいえず、減少傾向にあります。しかも信頼できるネットユーザーが近くにいれば、かなりの程度コントール可能です。もし日本語教師の皆さんがソーシャル・メディアを授業に取り入れようかとお考えになっていらっしゃるのなら、リスクがあるからやめるという方向ではなく、たとえばブロック(http://goo.gl/7zUKmy)などでリスクをコントロールできるように学ぶという方向で対応していただければ嬉しいです。
posted by 村上吉文 at 05:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック