2013年07月31日

メカ日本語教師はコンプレックスから生まれた。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス


CERDEC supports STEM Career Day

ときどき、「村上さんはITができるからいいですよねー」とか言われて違和感を得ることがあります。
何か、「村上さんは背が高いからいいですよねー」とか「お金持ちの家庭に生まれたからいいですよねー」とか「イケメンだからいいですよねー」とか言われるのと同じような違和感です。そりゃまず第一に、僕が背が高くも、お金持ち家庭の出身でも、イケメンでもないから違和感があるんですが、それだけではありません。少なくとも自分の背の高さとか、どんな家庭に生まれるかって、コントロールのできる範囲を超えていますよね。だから、自分ががんばっても得られない能力とか特徴を相手が持っている時に感じる羨ましさのような感情を吐露されると、それはちょっと違うんじゃないの、と思うわけです。

別に僕はもともと数学の才能があって工学部に入ったとか、そういう人ではないのです。大学の卒論の時に初めてワープロというものに触れ、パソコンというものを見たのは協力隊でITの隊員の家に行った時が最初でした。27歳ぐらいだった時ではないかと思います。

しかも、もともと技術に可能性を感じたのは、自分の日本語教師としてのコンプレックスを克服するためのものでした。

日本語教師という仕事は、それなりに身体性が重要視される職業だと大学の時にも感じていましたが、特に大学を出て、国内の日本語学校で初めて教壇に立った時には、「自分はこの仕事に向いていない」と心の底から痛感しました。なぜかというと、僕は滑舌もダメで、手書きも下手な上に遅かったからです。要するに、学習者が日本語を聞くときも読む時も、僕は彼らのモデルになれなかったのです。

けっこうそれなりに滑舌も練習したりしたのですが、きちんと発音しようとすればするほど、緊張してしまって舌が動かなくなります。しかも、教員であればどなたも分かるかと思いますが、新人の教員というのはいろいろなことを授業中にしなくてはならなくて、滑舌だけを考えていると学習者が見えなくなってしまったり、それはそれはもうどうしようもない教員でしたとも。当時はいろいろな背景を持った日本語教師がいて、中には劇団出身の人なんかもいたのですが、もう本当に教室という舞台で輝く女優のようで、僕はとてもあんな教師にはなれないと思い知らされました。それでも、どもりまでは行かなかったので、滑舌の問題はまだマシだったと言えます。

手書きの方はさらに大問題でした。「ゆっくり書けば誰でも丁寧に書ける」とかしたり顔で言う人もいますが、あんなの嘘ですね。しかも、経験のない仕事をしている間にゆっくり書く余裕なんてあるわけないし。それでも渾身の力を振り絞ってゆっくり書こうと努力すると、もうブルブル手が震えてしまって、読める字にはならないのです。要するに書痙というやつですね。もしかしたら今では治療法などもあるのかもしれませんが、その時は緊張をほぐす薬を飲むぐらいしかアドバイスをしてくれる人はいなくて、実際にそういう薬を飲んでみたこともあるのですが、今度は眠くなってしまって仕事ができる体調に持っていくことはできませんでした。

それで何をしたか。

もう自分の声も字も使えないと分かってきたので、声を出す代わりに音声の入ったカセットテープ(今ならパソコンでMP3でしょうか)をなるべくたくさん利用し、板書の必要性を下げるために、まだ出始めだったワープロとOHPなどを多用するようになったのです。それが、僕と技術の出会いでした。

今だからこそ、そういう技術を利用するようになってよかったと言えますが、当時は教師の身体性というのが随分強調されていたので、「あいつは機械に逃げている」という評価の方が多かったのではないかと思います。幸い、同僚には恵まれていたので、はっきり面と向かってそのように言われたことはありませんでしたが、それは僕自身ですらそのように感じていたのですから、当時としては当然の認識だったのではないかと思います。

ですから、カセットテープがCDになり、そしてICレコーダーと進化してくれたのは、本当に嬉しかったですね。今ではネット経由で学生のスマホに音声データを送れるのですから、全く夢のようです。

特にOHPの時代からパワーポイントなどのプレゼンテーションの時代がやってくると、もう本当に魔法のような技術に思えました。今では新人の先生に使いすぎを諌めたりもしていますが、何を隠そう、僕自身が自己紹介からすべての授業をパワーポイントでやってみたりしたことがあったからです。

文字と音声の他に、今ではインターネットの利用を同行の皆さんに熱心に奨めていますが、これも僕自身の後悔の結果です。

僕は日本で一年間だけ日本語教師の仕事をして、そのあとすぐ青年海外協力隊の隊員としてモンゴルの小中学校に派遣されました。日本の日本語学校では成人が対象だったのですが、今度は6歳の小学生から日本語を教えなくてはなりません。ところが、成人対象の教育と、初等教育というのは、全く違う仕事なんですね。要するに「日本語教師」という名目ではあるものの、僕は自分自身で経験したことのない職種の隊員として派遣されてしまったのです。

モンゴルの日本語隊員はそのころ他に数名いましたが、みなさん大学に派遣で、そもそも初等教育ではありません。国によっては「小学校教員」という職種の隊員が派遣されていることもありますが、当時のモンゴルにはそういう人もいなく、要するに僕はその頃モンゴルの小学校で働くたった一人の日本人だったのです。

三年間、いろいろ試行錯誤をして、日本に帰る前には「子供は絵カードとかゲームとか好きらしい」などと分かってきて、一生懸命手作りの教材などもそろえたのですが、日本に帰ってきて本当に驚きました。だって、当時は四ッ谷にあった凡人社の店先に、そういう教材がたくさん並んでいるんですもん。
「俺のあの苦労は何だったのか。時間を返せ」という感じです。

まあ、そういうことで、孤立している教師というのは、本当にレベルの低い所で戦うしかないのがよく分かりました。しかし、ネットワークに繋がっていれば、大体の問題はすでに誰かが解決してくれているのです。もちろん変化の激しい時代ですから誰も解決できていない問題もたくさんありますが、人間はまずそういう問題に取り組むべきで、すでに誰かが解決している問題などに悩むべきではないのです。だって解決されているんですから。本当にバカみたいですよね。

こうして、モンゴルから帰った僕はあまりにも自分がこの世界を知らないことを痛感して、二年ほど大学院に通ったりしていたのですが、そこで初めてパソコン通信というものに出会いました。niftyserveという名前もすでに過去のものになりましたが、僕のようにゴビ砂漠の向こうで孤立していた二十代の男にとっては、そこはもう本当に輝かしい世界でした。Niftyserveには日本語フォーラムという日本語関係者の集まる場所があったのですが、そこでは、自分自身は家にいながら、世界中の日本語教師の経験が共有できるのです。一ヶ月二万円ちょっとの家賃で住んでいた築30年ぐらいの木造アパートの一室にあるパソコンの向こう側に、ものすごく広大な世界が広がっていたのです。

二年の国内滞在の後に僕は初めて国際交流基金の派遣に採用されてサウジアラビアに行くことになったのですが、今度はなんとアラビア半島全体で日本語を教えている日本人は僕一人という世界でした。今度は大学で、すばらしいエジプト人の上司や先輩もいたのですが、やはりサウジアラビアの学生と宗教も母語も同じ教員と日本人では仕事上期待される役割も違いますし、パソコン通信で世界中の知にアクセスできるというのは、モンゴル時代の孤立感とは天と地ほども違いました。中国やロンドン、スリランカ、ルーマニアなど、ほんとうに色々なところから同じ職種の人たちがアクセスしていたのです。今思えば、あれが歴史上初めての日本語教師のグローバルなネットワークといえるのではないでしょうか。

インターネットの興隆に伴いパソコン通信は衰退し、今では日本語フォーラムもniftyserveもなくなってしまいましたが、こうして他者とつながることの価値は今もなお、というよりより一層高くなっています。

さて、それで冒頭の話に戻るのですが、要するに僕はもともと技術に明るい種類の人間だったわけでも、将来有望な日本語教師だったわけでもありません。むしろ、自分の弱点をカバーするために、技術に頼らざるを得なかったのです。Niftyserveに出会った頃からは「これはもしかしたらすごいことなんじゃないのか」と思い始めましたが、それでも大学院で技術を勉強するようなレベルではありませんでしたので、技術的な勉強といえば「週刊アスキー」という雑誌を一年間購読しただけです。それだけはちゃんと「一年間読む」と目標を決めて頑張ったのですが、逆に言うと、勉強らしい勉強といえばそれだけです。それだけで、技術の可能性に気づいた三十男が、それから十年ちょっと後には業界雑誌でI「次世代教師の〜」なんていう連載をしてしまったりするんですよね。

今は週刊アスキーもアイドルの水着なんかも載せるようになってしまってずいぶん趣が変わってしまいましたが、逆に「日本語教師とICT」という切り口だけでも多種多様な情報が手に入るようになりました。これからこの「むらログ」でも日本語教育とICTに関すること、特にソーシャル・メディアと日本語教育の関係について網羅的に書いていこうと思いますので、ぜひ僕が週刊アスキーを読んで勉強したように、若い皆さんにも読んでいただければと思います。
この記事へのコメント
あの時代の話を懐かしい気持ちで拝読いたしました。
まさかのコンプレックスからのデジタル化。
人生って不思議ですね。
私は現在アナログからデジタルに脱皮しようと四苦八苦している一人です。
いつもとても役立つお話をありがとうございます。
Posted by baku at 2013年07月31日 20:18
BAKUさん、コメントありがとうございます。そういえば、その後、かみむらけいすけさんとはモンゴルでお会いしましたよ(^^)
Posted by 村上吉文 at 2013年07月31日 20:45
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