2007年01月05日

「消費」という言葉のイメージ操作

日本語教師なので、たまには言葉に関するエントリーを。
まずは「消費」という言葉について。

人間が一つの『モノ』として消費されることは四十年前から言われていた。ただ、そのころはメディアといえばテレビだった。この十年間の一番の変化はネット社会の一般化。虚実入り交じりの情報が二十四時間発信できるようになった結果、情報速度が急激に速くなり、ネタの有効期間が非常に短くなっている。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061223/mng_____tokuho__000.shtml

よく見る例ですが、こういうところに消費という言葉を使うのはどうなんでしょうか。
食べ物は消費されれば消えてなくなります。雑誌などのように、消費された後、捨てられて焼却されるものもあります。
でも人間は消えてなくならないし、焼却もされません。

「消費」には、もちろんお金を払うという意味もあります。
だから「人を話題にして金儲け」と理解できるのは事実です。でも、こういう使い方は、そこに「抹殺されてしまう」というイメージを混入させることによって、いわれのない批判を暗に加えている気がしてなりません。

こういうイメージ操作はどうも好きになれないんですよね。うーん。
posted by 村上吉文 at 07:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | ことば | このエントリーをはてなブックマークに追加
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