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1999年04月10日

砂の国の日本語教育53

 みなさん、アッサラームアライクム!

 どうもサウジ人の悪口ばかり書いているような気がするので、今日は日本人やモンゴル人ではどうしても足元にも及ばないようなサウジ人の一面をご紹介します。

 それは、一言で言ってしまえば「信頼できない相手とのつきあい方」です。

 日本人は(モンゴル人も)、まず関係を持つ前に相互の信頼関係(もしくは友好関係)を醸成しようとする傾向があるのはよく指摘されるとおりですよね。(で、その結果、日本語に自信のない外国人に「日本語じょうずですね」とか連発して、逆に不誠実な印象を与えてしまう、という例もよく聞きます)

 いや、ここまではサウジ人も同じかな。サウジ人も人間関係を大切にする面は強いですから。

 ただ、絶対的に違うのは、どうしても相手が信頼できない場合です。日本人の場合は、信頼できない相手とはなるべく関係を持たないようにするのが普通だと思いますが、サウジ人の場合は、積極的に相手を利用しようとする傾向がかなり強いように見えます。

 たとえば、ここに僕の派遣元の団体と、ここの大学が取り交わした契約書があります。大学側の義務として以下の三つが挙げられています。

 (1) 大学スタッフと同じ休暇が取れること。

 (2) 大学スタッフと同じ施設やサービスが受けられること。

 (3) イカーマ(日本で言う外国人登録証)を発行すること。

 ところが、実際には(2)も(3)も履行されていません。(3)に至っては、大学側にはそんな権限もなく、はじめから無理なことが分かっているのに契約書に書いているのです。日本の感覚で言えば、まさに「信義にもとる」といって憤慨するところです。しかし「信義」を「信頼、信用に基づく義務、義理」と定義すれば、そんな信頼は存在していないのだから、あてにする方が間違っています。しかも、契約書にはきちんと「上記が履行できない場合は」という部分があるのですから、こちらの感覚ではマナー違反でも何でもありません。(日本ではルール違反にはならなくてもマナー違反とは言えると思いますが)

 「上記が履行できない場合」は、僕の派遣元の団体は「教員の派遣をキャンセルできる」ことになっています。ですから、大学が約束したのは「上記の(1)(2)(3)を履行すること」ではなくて、「この三つが履行できないときはキャンセルされてもいい」という点だけです。

 約束を破るのはサウジでも悪いことですから、キャンセルされて文句を言ったりしたら、マナー違反です。でも、「はじめから上記の(1)(2)(3)を履行するつもりがないのに、契約書を書く」ことは、キャンセルされることを覚悟の上でやるのなら、別にマナー違反でもありません。



 ここでサウジとってミソになっているのは、実は僕の派遣がサウジの利益のためではなくて、日本の利益のためだという点です。(日本の利益というのは、短期的にはカフジ油田の利権延長、長期的には産油国に親日派を増やして石油の輸入を確保すること。これらは別に派遣団体から言い含められたわけではありませんが、この国を見て少し考えれば誰でも分かることです)

 つまり、普通は「履行しないとキャンセルされるかもしれないから(1)(2)(3)を履行する」と行くはずなのですが、この現場の場合は「履行しなくてもキャンセルされない」と踏んでいますから(そして残念ながらそれは正しい)、履行しないのです。その結果、「この大学は信頼できない」と思われても、信頼できないなりのつきあい方をすればいいだけの話ですから、別に大きな問題ではないのです。

 逆に、「信頼できないこと」が「お付き合いできないこと」を意味しないこの国では、僕がいくら「そんなことをしたら、日本側は今回キャンセルするだけじゃなくて、二度と派遣はなくなりますよ」と言っても、本気にしてくれません。そして、実際、彼らが正しいのです。別にサウジの利益のために派遣されているわけではないので、僕の派遣はキャンセルもされないし、後任もやってきます(しかも増員)。残念ながら、こういうお付き合いはサウジ人の方が何段も上手(うわて)です。

 くりかえしますが、これを「信義にもとる」というのは日本の価値観で、こちらでは別に悪いことではありません。そして、こういうことに関しては、日本人はサウジ人を非難するべきではないと思います。むしろ、信頼できない相手との交渉術では彼らの方が高度なわけですから、それを素直に評価し、彼らから学ぼうとする態度が必要ではないでしょうか。

 ただ、信頼できる相手に対してこういうことをすると、そりゃ問題だとは思います(サウジ風に言えば「信頼を失うので損だと思います」)。僕が言っているのは、あくまでも「信頼できない相手」だけのことです。というのも、信頼できる相手としかつきあわないのは、結果的に視野や活動範囲を非常に狭めているように思うからです。

 日本人の村を作って、まったく現地人とコミュニケ−ションがない人たちや、逆に悪党を簡単に信じて傷ついてしまう日本人を見ていると、特にそう思ってしまうのです。

    ; 1419/12/22 <1999/04/10(土)> 17:35:28
posted by 村上吉文 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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