1998年02月10日

砂の国の日本語教育31

1998.2.7. 久しぶりの学校。まだ、今日は事務手続きだけで授業はないけど、やっぱり家の中で授業準備ばかりしているより、大学の空気に触れているほうがいい。

 大学の空気は平和で、日本語コースの授業が始まるかもまだ分からない状況だとはとても思えない。まして、すぐとなりの国が空爆されようとしているなんて、想像もできない。

 学生たちがさっそく研究室にやって来る。K先生からの書類が必要なようだが、俺にはわからない。

 知らない学生も何人か来た。アラビア語で「日本語を勉強したい」と言っているようだ。今はスペイン語専攻だが、転科したいらしい。ところが、よく話を聞いてみると、本当はフランス語に転科したいのだそうだ。 こちらの礼儀正さというのを理解するのはなかなか難しい。どうも彼にとっては「フランス語の先生の部屋はどこか」と聞くのが一番の目的だったらしいが、いきなりそんなことを聞くより、その前振りとして「自分は日本語に興味がある学生だ」と認知させたかったようだ。

 しかし、本気で日本語を勉強したいという学生も多い。新入生を取るのは非常に難しそうな状況なのが、残念。 新入生どころか、今いる学生だって授業ができるか分からないんだから。

 学長のパーティーに行った。きちんと招待されているにも関わらず、来ているのはほとんどサウジ人ばかり。この大学の教員の80%がエジプト人であることを考えると、非常に偏っているようだ。パキスタン人とベンガル人の教員とは挨拶したが、エジプト人は日本語のK先生とF先生以外にはいなかったようだ。 学長(ドクトル・アブドル=ファイサル)には初めて会ったが、非常に品位と威厳を備えた人だった。

 そうそう、驚いたのはパキスタン人の教員のこと。ウルドゥ語は閉鎖と聞いていたので「お互い、大変ですね」と言ったら、彼は何とここで英語を教えているのだそうだ。どうしてサウジでパキスタン人が英語を教えているんだ? 日本語はまだまだこの国ではマイナーな言語だが、英語はそうじゃない。この国の第一外国語だ。それなのにサウジ人の英語教員の数が足りないなんて。



2/08.

 八時に早くもまた新しい学生が来た。 前のセメスターは自ら日本語を学びたいと言う学生はほとんどいなかったのに、今回は様子が違う。おそらく橋本首相や堀内通産大臣などの訪問、それにもちろんNAGANOも影響しているのだろう。

 しかし、隣で戦争が起きたら、ここの授業はどうなるんだろう。一難去る前にまた一難。

 そろそろ食料の備蓄や、脱出用の大きめのリュックなどを準備しておこう。F先生も昨日あたりから考えているらしい。まだあまり現実感はないけど。





 と思ったらまた新しい学生が。

 「日本語の文字はいくつですか?」 これを聞かれるのがいちばん辛い(^^;)

 K先生は春よりも秋のセメスターに学生を取ったほうがいいとお考えのようだが、今のこの感じが秋まで続くのだろうか。それに今学生を取らなかったら閉鎖の可能性がまた強くなってしまう。



2.09

 ここでは、ひらがなを全部教えるのに、なんと一カ月かかると言う。ちょっと驚いた顔をしてしまったのを見て、f先生が「いや、本当に小学校の子どもだと思ってください」。 うーん、確かにモンゴルの小学生はひらがなを終わるのに一カ月かかったなあ。

しかし、待てよ。モンゴルの小学生は週5時間だったけど、こっちは20時間だぜ。

 子どものほうが吸収力があるのかなあ。それともモティベーションの問題かなあ。

          1998/02/10 04:03 МОНГОЛ!



 みなさま。 な、なんと、日本大使館から「サウド家の王子(皇太子じゃないけど)が日本語を勉強したいと言っている。時間があったら考えてくれないか」と言われました。どうしましょう。


posted by 村上吉文 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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