1998年01月03日

砂の国の日本語教育25

1998/01/03

 K先生は日本に十年もいらして奥様も日本人だし、本当に日本式のコミュニケーションで不便がない。語彙や文法だけでなく談話の進め方という面でも、まったく異文化を感じさせない。 他の、日本文化を知らないサウジ人と比較すると、例えば断りにくい依頼をされて困ることもない。今日は、以下のようなやり取りがあった。

・K先生、こちらの机の前に見える。話の内容は、今度卒業する日本語科の学生の一人がサウジ国内に事務所を持つ、ある日本企業に就職したがっていること。

・この時点でこちらには「同じ日本人同士として彼をその企業に紹介してやってはくれないか」という意図がわかるが、しかし、まだ言葉としては話題にのぼらない。こちらとしては、その企業に一人も知り合いがいないので、頼んでも難しいだろうなあ、と予測がつく。

・K先生は続けて、その企業と日本語学科との今までの関係を説明された。その企業は独自にサウジ学生を日本へ留学させていて、事前研修として留学前に日本語を教えてほしいという依頼を受けたが、大学側がOKを出さずに流れてしまったこと。

・この時点で分かったことは、協力できなかった日本語学科に、その企業が卒業生の就職という形で応えてくれるかどうかをK先生が心配なさっているのだ、ということ。

・話題はその会社の具体的な人名になり、K先生がご存じの誰をも俺が知らないということが発覚する(^^;)

・ここでK先生が自分からおっしゃったのが、「そうですか。それじゃそちらからは頼みづらいですね」ということ。つまり、こちらが断らなければならない事態には至らずに済んだのである。

・しかし、そのままではこちらも申し訳ないので、「大使館の新年会などがあったら、その会社の人を探してお近付きになっておく」ということを約束して、別れた。



 まあ、こういうコミュニケーションは、日本人同士ならあまりにも普通のことなので意識にも残らないだろうが、ネイティブでないK先生との会話で出てくると、「ああ、日本人って、こうして『ノー』ということを回避しているんだなあ」と何となく意識に残ってしまう。

posted by 村上吉文 at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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