1997年12月19日

砂の国の日本語教育19

 例の親日家のアリーは、時々「亀の味噌汁」という日本語のフレーズを何の脈絡もなく言うことがある。はじめは気にも止めなかったのだが、何度目かに気になって聞いてみた。

「その、亀の味噌汁って何なわけ? だいたい、この辺に亀なんかいないでしょ」するとアリー氏、なぜか相当ムッとしたようだった。

「何てことを言うんだ。亀はいる!」

「(ちょっとびっくりして)そう。でも見たことないなあ。アリーさんはどこで見たの?」そう言うと、なぜかさらにムッとされてしまったようである。

「見たことはない。しかし見たことがないということは存在しないということを意味するわけではない」それは確かにその通りである。まあ、しかし触れてはいけない話題だったようだ。「そっか。まあ、別に亀がいようがいまいが、大した問題じゃないよね」

「何ってこった! 大した問題じゃないって? これは人間という存在の根本に関わる問題じゃないか」いかんいかん。何だかさらに余計なことを言ってしまったようだ。ちょっと強引に話題を変えよう。

「じゃ、味噌汁の方は? 何で急に出てくるんだ?」「味噌汁? 私は味噌汁の話などした覚えはないぞ」「だって時々言うじゃないか。亀の味噌汁って。さっきも言ったぞ」

「ああ、だって日本語でそう言うんだろう、インシャーッラーのことを」

* 「インシャーッラー」=もし神が望むならば=「神のみぞ知る」



ちゃんちゃん。
posted by 村上吉文 at 07:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック