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2012年04月05日

聴解練習は文字を見てもいいのでは?


日本語学習者の皆さんと話していると、ときどき意味がわからないのに「文字を見てはいけない」と指示されて日本語の音声を繰り返し聴き込んでいるという人に出会うことがあります。しかし、僕が日本語教師としてではなく、一人の語学学習者としての自分の体験から感じる限り、これって単に苦痛であるだけなく、あまり効果的でもないような気がします。

というのも、聴解の能力というのは、基本的に「その音と意味が結び付けられるようになる」ということですよね。意味がわからないまま何度繰り返して聞いても、音と意味が結びつくようにはならないのではないかと思うのです。たとえばモールス信号をずっと聴き込んだらモールス信号の意味が分かるようになるんでしょうか。

母語として僕たちが日本語の聴解力を身につけたときも、「おっぱいほしいの?」「ぽんぽん痛いの?」という音声が、空腹感とか腹痛といったその場の状況から意味に結びついていって、それで次に「おっぱい」「ぽんぽん」という言葉が聞こえた時に、その意味が分かるようになると思うんですよね。

ところが、聴解用の音声データをスマホなどで聞いているときは、そうした音声外の情報がまったくありません。こうした状況では、いくら音声を聴きこんでも文脈以外に頼るものがなく、結局、意味が分からないまま無駄に時間を費やしてしまいがちです。

母語を身につける赤ちゃんと違って、僕たち成人が外国語を学ぶときは、だいたい文字も一緒に習うことが多いですし、文字があればその意味を調べることも簡単です。ですから、音声データを聴く練習をするときは、一回か二回ぐらいは文字を見る前に聞いた方がいいかとは思いますが、何回聞いても分からない部分はさっさと文字を見て「あー、ここはこんなこと言っていたのか!」とその音と意味を結びつけてしまった方がいいと思います。もちろん、それで終わりにしてしまったら音と意味が結びつかないので、その後、ちゃんと意味が分かった状態で何度も聴きこむわけですね。そうすれば次にまったく別の文脈でその表現が出てきた時に、ちゃんと聞き取れる可能性は高くなります。

特に、自律学習として自分の好きなアニメの音声を繰り返して聴き込んでいる学生などには、こうしたアドバイスが非常に有効ではないかと思います。

僕も映画の音声で英語を勉強しているときに、食べ物の話などしていないところで「Spaghetti!」という声が聞こえるのが不思議で仕方がなかったので文字を見てみたら、実は「Just forget it!」 だったという悲しい思い出があります。しかし、一度分かってみるともう「Spaghetti!」には聞こえなくなるんですよね。

もちろん、文脈から意味を類推していく練習は、聴解でも読解でも必要でしょう。しかし、それができるのは、あくまでも「音素は聞き分けられるがその言葉を知らない」というような状況の時です。しかし、聴解力の問題の多くは、上記のspaghettiのように、単純なことしか言っていないのにそれがそのとおりに聞こえないというところにあります。その場合は、さっさと文字を見て、音と意味を結びつける必要があるのではないでしょうか。
posted by 村上吉文 at 11:18 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
同感です。なぜかたくなに「ひたすら聞け」を主張する教師がいるのか,私には疑問です。それはほとんど拷問です。私ならやりたくない。

ただ,1回目だけは音声だけに集中した方がいいとは思っています。文字を先に見てしまうと,脳内で音を再生してしまい,正しい音を聞き取れなくなる可能性があると思います。
知っていても聞き取れないことがあるなら,それは音と意味の結びつきがずれているからです。音だけを聞いたときに,知っていて聞き取れなかったものは正しく音と意味をつなぎなおす。知らない語ならきちんと覚えていく。くり返し聞いて音と意味を結びつける。

それが聴解力をアップさせる基本スタンスだと思っています。
Posted by 須田將昭 at 2012年04月05日 12:19
須田將昭さん、コメントありがとうございます。僕も自分の同僚などにはそういう先生はいないんですが、学生にはよく「そう指導された」と聞くことが多いんですよね。機会があれば、一度、そう指導している先生から理由などを聞いてみたいと思います。
Posted by 村上吉文 at 2012年04月05日 13:34
私が日本語教師養成講座で「教師のビリーフ」について話していたときのことです。受講生から「語学学習に関するビリーフ」を挙げてもらった時に,ある受講生から「わかるまでひたすら聞くべき」という発言がありました。その人は,とにかく意味が分からないままでもなんでも,ひたすら聞き続けて「耳を慣らした」ことで「その語学を習得できた」という「成功体験」を持っているので,周りにもそう勧めている,と言いました。モノには限度もありますし,分からない言葉を延々聞いていることほど苦痛なことはないので,それは学習者に強制しないようにとは言いましたが,さて,その方はどんな授業をしていることやら…と思うことがあります。
教師が何かを学習者に「強制する」というときには,大方の場合,何らかの成功体験に基づく教師ビリーフが働いているように思います。
Posted by 須田將昭 at 2012年04月05日 19:28
はじめまして。はじめての書き込みで失礼します。
私は「まずはひたすら聞いてください」という教材の、学習相談窓口で学習者様の語学のアドバイザーという仕事をさせていただいております。そのご案内の中では、たしかにまずはひたすら聞いて下さいとご案内しています。ですが、その教材では意味を無視しておりませんし、単語単位で確認できるように収録内容が記載された本も同梱させていただいています。理由は、村上先生のおっしゃるように意味不明なインップト続けられるほど大人は暇ではないからでありますし、音だけを聞き続けるというのは一般的な方の興味で許容できるものではないからだと理解しております。須田先生の申されるようにプロを名乗る語学教師、または自分の同僚でさえも、自分の経験の範囲を超えない、対比誤差の中にある方は非常に多いと感じております。本当の意味でのビリーフといえる境地に達するまで、語学をより体系的に学び、かつ自分の経験と、普遍性を常に追求されている、真のプロとお仕事ができるようになることを志しております。
言語が音声を中心にしたものであるとは私は思っておりますが、意味や文脈を含まない音は、婚活中の鳥のさえずりや、テリトリーを守るために威嚇の音声ですむものだと思われます。つまりそれは複雑である必要はないという観点と、ただの複雑自慢で足りるのだと思います。とても興味深いトピックでしたので、抑えきれず書き込ませていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
Posted by karayuki at 2012年04月06日 02:34
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