2005年02月14日

平凡ではいけませんか。

先日、スマップの「世界でたった一つの花」に対する違和感について書きました。あの歌のメッセージは「競争しなくていい」ということと「個性的であれ」ということだったように感じています。今日もちょっとそれに関する落書きです。
実は、うちの娘、のごおんが初めて寝返りに成功しました。今は離れて暮らしていますが、やっぱり、こういうのは暮らしの中で一緒に見て、少しずつ成長を見守りたいものですね。
ウェブを「初めて寝返り」で検索してみると、出てくる出てくる。子供が初めて寝返りに成功したときの、親の書き込みがたくさん見つかります。最後に腕が抜けなくてもうちょっとで寝返りできないとか、その姿勢のまま元に戻れなくて泣いてしまうところとか、みんな同じ。そして、それらを見ていて思うのは、「何と平凡であることか」ということです。

でも、実は平凡であるってことは、とても尊いことなんですよね。

今は単身赴任状態ですが、普通の家庭なら、仕事が終わって「ただいま」って家に帰ると、妻がエプロン姿で「おかえり」って言ってくれて、後ろから晩ご飯のおいしそうな匂いが漂ってくる。別に個性的なんかじゃなくていいじゃないですか。隣の家と同じでいい。いや、何億人という人が同じようにしていてもいいんです。

だけど、そういう平凡な暮らしを続けることが、どれだけの努力や犠牲を必要とすることか。親になってみて初めて分かったことですけど、実は平凡であるだけでも大変なことなんですよね。うちだって、仕事を辞めて家族と暮らせば経済的にやっていけない。そして、医療水準の低いこの国に呼び寄せるには、娘はまだ幼すぎます。

うちの実家もごく普通の平凡な家庭でしたが、自営業だったおかげで、働く父の後ろ姿を見て育つことはできました。頑固親父で十代の頃にはずいぶん反発もしましたけど、毎日夜遅くまで塗料や埃にまみれて働く父がいたからこそ、あの平凡な普通の暮らしがあったんですよね。

オンリーワンじゃなくても、別にいいじゃないですか。もちろん、「平凡であれ」とは言えません。うちみたいな単身赴任もあるし、母子家庭やいろんな事情のある家庭があってもいいんですが、積極的に個性的じゃなきゃいけないなんてことは全然ないと思うんです。「平凡がいい」のではないんですが「平凡でいい」のではないでしょうか。
タグ:育児
posted by 村上吉文 at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
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