2011年05月30日

母語以外を専門的に教えるのはやっぱり大変なんだろうなあ。

僕もいろいろな言語を学んできたのですが(モノになったかはともかく)、ときどきゲンナリしてしまうことがあるので、愚痴半分で聴いてください。

日本語教育の世界では、日本人の日本語教師は日本語自体は母語話者なので日本語の「教え方」を身につけることに専念でき、日本語を母語としない日本語教師は「教え方」以前に「日本語」そのものをきちんと身につけなくてはならないので「教え方」はあまり専門的に勉強していないという傾向があります。(もちろん、例外もたくさんあります)

でも、これって日本語教育だけの問題じゃないんですよね。日本で日本語以外の外国語を教えている日本人の先生方の間にも、残念ですが「教え方」にはあまり習熟していないように見えることがあります。

たとえば、日本語教育の世界で「場所を訪ねる」という会話があったとします。対象とかあまり特定しないで初級風に適当に書いてみると、だいたいこんな雰囲気になりますよね。
すみません、やまだホテルはどこにありますか。
新宿駅の近くです。
新宿駅は何線ですか。
山手線です。
新宿駅の何口から出ますか。
東口です。
歩いて何分ぐらいですか。
5分ぐらいです。
ありがとうございます。

まあ、こんな感じになると思うんですよ。
もちろん、細かいところはいろいろ突っ込みようもあるとは思うんですが、「場所をたずねる」という会話だったら、その場所への行き方とか見つけ方とかの内容になるのは、おそらく誰も否定しないのではないかと思います。

ところがこれが、外国語教育ではもしかしたら日本でいちばん有名なぐらいの組織でも、言語によっては同じ「場所をたずねる」という会話でこんな内容になっているんです。日本語ではなくて、別の言語を日本人が学ぶための会話の日本語訳です。
向こうにある車、見える?
向こうって、どこ?
私の指さしてる方。
…うん、あるね。それがどうしたの?
車に乗ってる禿げた人、見えるかな。
うん、あの人がどうしたの?
私のお父さん。
(ここではその機関の名前を挙げませんけど、研究などで知りたい人にはお知らせします)

繰り返しますけど、これって、ある言語を学ぶための教材のうちの、「場所をたずねる」という単元の会話なんですが、どこか特定の場所への行き方とか見つけ方を尋ねる会話になっていますか?

ちなみに、その教育機関は日本人に外国語を教えるだけではなくて、外国人に対する日本語教育も行っています。日本語教育のコースでの「場所についてたずねる」は以下のようになっています。
すみません、授業料を払いたいのですが。
授業料でしたら、会計課でお願いします。
会計課はどこでしょうか。
この建物の3階にあります。
印刷センターのとなりです。
3階へはどう行けばいいですか。
あそこにエレベーターがあります。
わかりました。
ありがとうございます。

あー、まともでよかった、というのが正直な気持ちです。「場所についてたずねる」という単元なら、普通はこうなるはずですよね? 同じ機関の同じ目的の単元なのに、日本語と某言語ではこんなにレベルが違うんです。

繰り返しますが、禿げたお父さんについての会話を作った先生方は、その言語そのものについては誰よりもくわしい専門家であることは事実なのでしょう。ただ単にその「教え方」についてはあまり高い専門性を備えていないというだけの話で。

逆に言うと、それらの言語に比べてその機関の日本語教育の教え方のスキルが高いのは、日本人だから日本語を身につける努力を既に済ませているので、「教え方」の専門性を高める余裕が、他の言語の先生方に比べて多かったというだけのことなのだと思います。

ここで僕たちが忘れないようにしておきたいのは、日本人同士でも「母語の教え方」と「外国語として学んだ言語の教え方」ではレベルに大きな違いがあるということです。海外の、特に途上国にいるとそれが国籍や文化や経済レベルの違いの結果だと感じてしまう人も少なくないようですが、日本人同士の比較を考えれば、それが間違いであることが分かるのではないかと思います。

また、日本人の日本語教師は、学習者の言語についてあまり知識がない分だけ、教授法にはしっかりと専門性を築いていく責任があるとも言えるのではないでしょうか。
posted by 村上吉文 at 14:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
おぉ・・・・・
ほかの課はけっこう使えそうな例文(会話文)も多いのに、こんな落とし穴があったとは。
しかも、「はげ頭」って・・・。
なんか、ウケを狙ったとしか思えないのは気のせいでしょうか?初級に必要な語彙とも思えないし、第一エジプト人ってハゲの人、少ないですよね。
すみません、どうでもいいようなコメントで。
Posted by やもり at 2011年05月30日 21:43
えーっと、何語かは伏せているんですが。あははは。ま、いーか。
Posted by むらかみ at 2011年05月30日 21:57
まったくもって同感です。そしてレッスンがワンパターン化しているのがここ数年の私の悩みでもあります。

日本語を教え始めたばかりの頃、担当した会話の授業をどうやって進めたらいいかいつも悩んでいました。そしたらモンゴル人の同僚が「モンゴル人の教師と同じような授業をしてもらっても意味がないので、日本人の先生には日本人にしかできない授業をしてほしい」とアドバイスをくれました。つまりは村上先生のおっしゃる「日本人の日本語教師は、学習者の言語についてあまり知識がない分だけ、教授法にはしっかりと専門性を築いていく責任がある」ということなのだと思います。

時代や社会情勢に合わせて成長していけるよう精進したいと思います。
Posted by I.shibarie at 2011年06月11日 23:04
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