1月7日が無事に過ぎようとしているからです。
1月7日。
それはエジプトなどにいるコプト教徒にとってのクリスマスです。
コプト教はキリスト教の一種で、アルカイーダから、このクリスマスにテロを行うことを予告されていました。
実際に、大晦日のミサにはアレキサンドリアの教会前で大規模な爆弾テロがあり、少なくとも23名のエジプト人が亡くなりました。
以下は、なくなった一人がFacebookに最後に書き込んだ内容。これが人生最後の書き込みだったなんて、あまりにも悲しすぎます。

さて、日本だったら、「集会でテロを起こす」とアルカイーダ並みのテロリストに予告されたら、まず、どんな集会であれ、中止にするでしょう。
エジプトでは、ここからまず違いました。コプト教の人たちは「それではテロリストに屈したことになる」といって、クリスマスのミサを中止しなかったのです。ちなみにミサはイブ(前夜)なので1月6日でした。
その時点で、僕は「うわー、信仰っていうのはすごいんだなあ」と思っていましたよ。でも、それだけじゃなかったんです。あり得ないことが起こったんです。
ムスリムの人たちが「自分たちもミサに参加しよう」と言い出したのです。
ありえない。日本だったら絶対あり得ません。テロが予告されているイベントに自分たちから参加するなんて。
One initiative emanating from Muslim activists was a call for Muslims to form human shields in front of churches throughout the country during tonight's Christmas Mass.つまり、アルカイーダに対してコプトの教会を守る「人間の盾」になろうとしたのです。ご存じのとおりアルカイーダは狂信的なイスラム教徒ですから、異教徒だけでなく、同胞であるイスラム教徒がそこにいれば、テロは実行しにくくなるはずです。
http://weekly.ahram.org.eg/2011/1030/fr2.htm
しかし、それは文字通り諸刃(もろは)の刃です。実際にテロが起きれば、異教徒の信仰のために自分たちが命を落とすことになります。ミサの始まる24時間ほど前に、僕はこんな風にtweetしていました。
http://tinyurl.com/2ajcydm エジプトではキリスト教のクリスマスは1月6日ですが、FACEBOOKではこれを一緒にいわおうと「ムスリムに」呼びかけています。アルカイーダが二回目のテロをその日に予告していることを考えると、これは命をかけた挑戦です。
http://twitter.com/#!/Midogonpapa/status/22665126603657216
でも、実はその前から、海外で報道されているよりずっとムスリムはコプト教徒に近い立場でした。日本などの報道でも、アレキサンドリアのテロに対する抗議デモを「コプト教徒が暴徒化」などと報道する一方でしたが、実は抗議デモには多くのムスリムたちも参加しており、たとえば6日に裁判が開かれた8人の「暴徒」も全員がムスリムだったと現地紙は以下のように伝えています。
The eight suspects, all Muslims from the April 6th Youth Movement, were among three thousands of Coptic and Muslim protesters who were expressing their anger against the Al-Qiddissein (The Two Saints) Church in Alexandria, when they were arrested.
"8 Egyptian rioters on trial Thursday" By Doaa Soliman-The Gazette Online
Thursday, January 6, 2011 12:53:55 AM http://bit.ly/ePzPv9
(なお上記の引用だと教会に対する抗議デモのように読めますが、印刷された紙面では「against new Year's eve bombing in Alexandria that killed at least 21 Copts」となっています)
また、アレキサンドリアの事件直後から、Samo Zaenという人気歌手がムスリムとキリスト教徒の共生を訴えた歌をyoutubeで流したり、ムスリムの象徴である三日月と十字架を重ね合わせた画像に"One home, one pain"と文字を入れた画像がFacebookやtwitterのアイコンに頻繁に見受けられるようになっていました。
以下はSamo Zaenの歌です。
One home, one pain の画像は以下のバージョンを始め、エジプト国旗の配色になっているものや、テロを連想させる血の色のものもあります。

また、聖夜のミサに先だって、エジプトのコプト正教会法王シェノーダ三世は以下のように述べました。
"I am glad that many Muslims joined [in the protests] which shows that all are against terrorism and sectarian violence. The attack brought us together. We have to unite against the enemy that aims to sever our bonds." (テロやセクトの暴力にわれわれはみんな反対であることを示す抗議デモに多くのムスリムが参加したことが、私は嬉しい。テロがわれわれを団結させたのだ。われわれを分断することを狙っている敵に対して、われわれは団結しなければならない)
http://weekly.ahram.org.eg/2011/1030/fr2.htm
そして、張りつめる緊張の中、6日夕刻からクリスマスのミサが開始されました。
実は僕はその日、午後六時から夜の授業だったのですが、8人いる受講者のうちの一人はコプト教徒で、「大切な日だから休む」と連絡を受けていました。エジプト人の一割がコプト教徒なので、誰しも、その程度には自分にも関係のあることになるのです。
twitterなどでは、#coptsや#Alexexplosionというハッシュタグで、エジプト全土の教会の様子が共有されていきました。
たとえばこちらは@monasoshさんが撮影した教会の内部の様子です。

こちらでは、一見してムスリムと分かる黒いニカーブを来た女性が娘を連れてきている様子が伝えられています。

そして、無事に礼拝を終えて教会から出てきた人たちが目撃したのはこんな風景でした。

In front of a church in heliopolis.. egyptian muslim brothers r supporting us on Xmas eve #egypt http://yfrog.com/h2rvzedj
(イブにへリオポリスの教会の前でムスリム同胞団が私たちを応援してくれている)
http://twitter.com/#!/Donziii/status/23104703705387009
イスラムの象徴である三日月と、キリスト教の象徴である十字架を同時にあしらったデザインを、この一週間で何度見たことでしょう。礼拝後にはこんな記念写真を撮る風景も見られました。

http://twitpic.com/3nl72x
僕は八時に授業を終えて、再びこのあたりの流れをtwitterで見ていたのですが、いつテロの知らせが飛び込んでくるかと、本当にハラハラしながら見守っていました。だって、養成講座を休んでミサに出席している受講生も、同じ事務所の日本語の上手なスタッフだって、どこかの教会にいるんですからね。
そして、九時過ぎに自宅に帰る途中、警護を終えた警察官や礼拝帰りの人たちを見たとき、はっきり感じたのは、「この人たちはアルカイーダのテロに打ち克ったのだ」ということでした。
もちろん、テロが起きなかったのは厳戒態勢の中で物理的に不可能だったのかもしれませんし、もとから予告がはったりだったのかもしれません。しかし、大切なのは、テロに遭遇するリスクを冒してまで、多くの人々が礼拝に参加したということです。テロの目的は人々を殺すだけでなく、コプト教とイスラム教の信者を分断させ、エジプトをイラクやアフガニンスタンのように崩壊させることだったはずです。しかし、この人々は、単に二回目のテロを防いだだけでなく、コプトの人たちを皆で支援することによって、分断されるどころか、却ってその絆を強くしたのです。その意味で、ここの人たちは真っ向からテロに挑戦し、そして、勝ったのです。
この点について、エジプト政治学研究者である金谷美紗さん(上智大学アジア文化研究所)も以下のようにつぶやいていました。
but have they ever been aware and conscious of the Coptic issue so much like now? it's ironical #AlexExplosion gave this opportunity.
http://twitter.com/#!/misakanaya/status/23164184493555712
そして、最後に、エジプトのコプト正教会法王シェノーダ三世の言葉をもう一度だけ引用しておきましょう。
"The attack brought us together.
大晦日のテロからこのクリスマスの間のエジプトの一週間は、僕にとって、生涯忘れられない出来事の一つになるのではないかと思います。
もう一回いいますが、「エジプト人ぱねぇ!」です。
(外国の方もこのブログをよく読んでいらっしゃるようなので補足しておくと「ぱねえ」というのは「はんぱじゃない」→「すごい!」という意味の日本語です。)
それから、途中何枚か画像が見られないようなのですが、それは受け手側の問題でしょうか?亡くなった方のfacebookの書き込みと「Imbaba」という教会の内部の写真と、最後の記念写真を撮っている風景の写真です。
それにしても、私も今回のことでムスリムに対する印象がずいぶんと変わりました。個人的な友達としての「ムスリム」だけでなく、全体として、集団としての「ムスリム」に心からあっぱれ!と思えたのは、もしかしたら初めてかもしれません。
日本がいかに平和なのか改めて知らされました。
最近、ポツポツとムスリムの生徒が増えてきました。私ももっと勉強しなくてはと思いました。
今朝のテレビで大晦日のテロに触れて、「一神教の非寛容性」について協調していました。それを見て私は非常に違和感を覚えたのです。
イスラムの本質は「他者への寛容」なのでは?少なくとも私はそう考えていたのですが、日本の報道は「イスラム=危険」と刷り込みたいのでしょうか。
日本在住のロシア人の生徒さんは、7日(6日の夜からが7日ですね)がクリスマスでした。
生徒さんに教わることがとても多い毎日です。
>テレビで「一神教の非寛容性」
どうも最近の日本人は、日本の仏教がいかにキリスト教に非寛容であったか(見つけたら家族諸共なぶり殺し)、日本の神道がいかにあらゆる人間に不寛容(どころの騒ぎではない)であったか、知らないようですね。歴史を勉強してないひとたちは怖いなあ(苦笑)。