2010年07月31日

そろそろネイティブ論議について一言いっておくか。

タイトル偉そうですいません。ぺこぺこ。一度言ってみたかっただけなんです。

とは言え、日本語教育にかかわる日本人として、一言だけ言っておかなきゃいけないんじゃないかな、と思って出てきました。要するにネイティブとして語学教育に関わっている者ですので、内田さんの記事(http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php)への反論として、きいてくださればと。

確かに、僕のように途上国を中心に日本語を教えている人間の場合、読み書きよりも口頭表現能力を重視することがあります。

しかし、そこにはまっとうな理由があるのであって、決して「日本の知識を伝えたくないから」などというような理由はありません。全くありません。ゼロです。

むしろ、国際交流基金の日本語国際センターなどでは「日本人らしさをめざす日本語教育からの脱却」を推奨しているぐらいです。私自身はそう指導している現場に出くわしたことはないのですが、中国の大学教員だけを対象にしたコースで、受講者の方がそういった方針に対して「私たちは日本人のように話せることを目指して勉強してきたのに」とこぼしていたのは聞いたことがあります。

では、なぜ私たちは「もっと口頭表現能力を」と言うのでしょうか。

それは、単に時代が変わったからです。それだけの話です。

では、時代はどう変わったのでしょうか。

■ニーズの問題

以前は、幕末の日本をあげるまでもなく、内田さんのおっしゃるとおり先進国の知識や技術を吸収するのが目的でしたから、文字が中心でした。福沢諭吉だって、対面コミュニケーションの必要性から口頭表現能力を重視するなんてことはしなかったでしょう。だって、外国人なんてほとんどいなかったんですから。対面しないのに対面コミュニケーション能力を育てても意味がありませんよね。

日本人にとって海外旅行が簡単にできるようになってきたのは1985年のプラザ合意以降です。つまり、たかだか35年前のことにすぎません。教育制度の硬直性を考えれば、これはほんの昨日のようなものです。

まして私のいるような途上国では、日本語を学習している人が日本人と同じように気軽に外国を訪れる時代は、まだ到来すらしていないのです。ですから、途上国の語学学習者の多くは今でも文字中心の語学教育に偏重しています。

しかし、上にも書いたように時代は変わりました。気軽に外国を訪れる時代はまだですが、日本企業の方がどんどん海外に脱出してきているのです。また、日本の観光客も増えています。そして言うまでもなく、インターネットを使えば音声でも動画でも、あたかも実際に対面しているかのごとく、日本にいる日本人と口頭でコミュニケーションすることができます。

いや、ここ数年の途上国の変化はむしろ日本より激しいと言っていいでしょう。日本でプラザ合意とネットの普及が同時にきたようなものですから。

このような大規模な変化が起きているのに、教育制度は日本と同じくなかなか変えることができません。

したがって、日系企業などからは「大学も出ているのにろくに話せもしない」というような批判が山ほどやってきます。(最後に例をあげました)

■ 教材の問題

もう一つの大きな原因は教材です。ご存じの通り、読み書きは文字が中心で、口頭コミュニケーションは音声が中心です。

ところが、文字の教材は板書をはじめ簡単に作成や複製ができるのに、音声の教材はそう簡単には利用できませんでした。蓄音機と黒板では、当然後者の方が普及していたことでしょう。

2010年の時点でも、音声教材をMp3などで配布しても、学生の側に再生機がないなどの問題はあります。それよりは、紙の資料をコピーする方がずっと簡単ではあります。

以上のように、ニーズへの急激な変化と教材の扱いやすさの問題で、現在の語学教育は多くの現場で読み書きに偏重している傾向があります。

さて、こういう状況で、日本語教育の専門家が「もっと口頭表現能力を」というとき、それは果たして日本の国益を相手の利益より優先しているからでしょうか。

【参考】

「リンガ・フランカのすすめ」http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php


大卒者のコミュニケーション能力を批判したベトナムへの新聞への投書

http://tuoitre.vn/Ban-doc/Nghe-thay-va-viet/388296/Day-ngoai-ngu-sai-phuong-phap.html
上記の記事のGoogle翻訳の結果
Graduated but not quite communicate

Let me tell a true story 100%. I work for a Japanese company, because no one knows Japanese to communicate with the leadership and work of translation, the company posted £ hiring Japanese translation.

There is a female candidate to interview, in the interview I also participated. When viewed through the learning outcomes of this candidate, I would like the: University graduate major in Japanese, learning resource type rather, have work experience in another company in Japan for three years. I think you find the right person for the job.

Since Japanese is not a decent interview, I ask your boss. However, I can not imagine the level of her Japanese is so ... bad. These are common phrases that she did not answer. Every question I have to remind your boss at least twice. When interviewing expertise, all of my questions were translated into Vietnamese to hear her. She replied in Vietnamese and translated back to my temporary boss heard.

End of interview, the boss asked me a question that I do not know how to answer: "Graduated major in Japanese type of communication is not quite that, so at school Vietnamese students study what?" . Actually I only know silence.
タグ:日本語教育
posted by 村上吉文 at 09:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。
いつも為になる情報を発信してくださり、おかげさまで、IT関連ならびにパソコン応用術についての理解が少しずつ深まってきたように感じています。

さて、今回取り上げられた問題に関し、ちょっと意見を言わせてください。

まず、内田さんとやらの議論は「被害妄想だ」のひと言でいいと思います。ただ、「話せることよりも読み書きできることの方に重点を置くべきだ」との主張については、理由は全く違いますが、少しは耳を傾ける必要があるかと思います。

それは、日本語の表記法が他に類を見ないほど複雑かつ難解であるが故、それを学ばずして上級・超級への到達は考えにくいという事情です。どこの国の言語に「最低限、3種類以上の文字(ひらがな・カタカナ・漢字+ローマ字など)を知っていなければ言語生活に困る」などという言語があるでしょうか。おまけに漢字ときたら、いつどのように使うか、読むかなど、日本語を母語としない学習者にとっては難解きわまりない規則?が待ち受けています。

こうした日本語の特質を考えたとき、読み書きの能力をつけることの必要性は、他の言語では考えられないほどの意味を持っているように感じます。

それから、
みどごんパパさんご指摘の「実用的な外国語教育を優先的に」との議論については、現地日系企業からもしばしば指摘されており、これも避けては通れない問題だと思います。

しかしながら、現在この国の高等教育機関でおこなわれている日本語教育は、(私の関係する大学だけのことかもしれませんが)、そうした観点から見ると、かなり中途半端かつ不十分だと言わざるを得ません。

まず、日本語運用能力を高めるための授業は、1クラスあたりの人数が60名以上という状況の中で、週あたりの時間数そして現地教師のレベルも限られ、しかもネイティブ教師の数が絶対的に不足しているという体制をあげることができます。

次に、<せっかく学習しても使用する場所や場面が絶対的に少ないという環境>、そして<卒業後の就職先である現地日系企業の多くが能力試験2級(N2)の合格を求める傾向にあり、授業内容がいきおいそちらの方向に向かわざるを得ない>など、<教えたい日本語>と<学ぶ必要がある日本語>のギャップが大きすぎるように思います。

つまり、「実用的な外国語教育を優先的に」教えようとしても、以上のような要因が作用して、現実的にはかなり難しいというのが実情だと感じています。

もちろん、こうしたことを克服すべく努力し、実現に導くのが「おまえの役目だ」と言われれば返す言葉はないのですが…。今後は、やはりみどごんパパさんが力説していらっしゃるように、<パソコンとNETを賢く利用する教育方法>をうまく取り入れる必要があるのでしょうね。今後もご指導をよろしくお願いします。

もうすぐエジプトですね。日本と文化的共通点の多いこの地から、気候・人種・宗教・文化・習慣など全く環境の異なる北アフリカでの任務、さぞかしご苦労の多いことだと思います。健康にだけはくれぐれも気をつけて、日々ご活躍されんことをお祈りしております。
Posted by 福島泰正 at 2010年07月31日 16:57
福島先生、コメントありがとうございます。
いやー、「被害妄想」ですか。相変わらず直球ですね。まあ、僕もそういう印象は持っていたのですけど。
ネイティブ論議は英語教育の方から出てきたのですが、日本語に関しては確かに英語に比べて読み書きにかけなければいけない時間が多すぎますよね。
それから、こちらで読み書きの授業が多い理由の一つには、ご指摘の通り、大人数のクラスとの親和性もありますよね。ご教示ありがとうございました。
エジプトは、確かに日本とは全然違うところではありますが、仕事自体はかなり楽しめるのではないかと思っております。またいろいろご指導ください。
Posted by 村上吉文 at 2010年07月31日 17:18
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