僕のブログでも国際交流基金の事業仕分けについて、USTREAMの動画と、それに関するtwitterでの発言をまとめていましたが、要するにそういうことです。
http://mongolia.seesaa.net/article/149244608.html
「激変するラーンスケープ」でも同じように動画とつぶやきがまとめられています。
ここで教師の役割が変わりつつあるというような議論が出ていたので、僕も昨日触れられなかったことを一つ補足として書いておきます。
今までよく思っていたことは、「教育業界にはコンテンツに詳しい人とそのユーザーに詳しい人の区別がないんだなあ」ということです。
例として医療と出版を考えてみます。
医療の場合、医者と看護士っていう役割の違いがありますよね。よく、医者は病を見て看護士は患者を見る、なんていいますが、これはもう少し一般化すると、医者は病気とか怪我とかいう問題に関するスペシャリストで、看護士はそのサービスのユーザーに近いスペシャリストということができますよね。
同じように、出版の場合も著者と編集者という役割分担があります。僕も教科書を作ったことがありますし、月刊誌で連載もしていますが、編集者の方は読者としての視点で「ここは分かりにくい」とかコメントをくれることもありますし、ITエンジニアの日本語教材の時は大連まで取材に行って「こういうニーズがある」というようなことを調べてくれたりしました。つまり、著者がそのコンテンツ側の人間だとすると、編集者は読者というユーザー側のスペシャリストという役割分担になっているわけです。
ところが教育現場ではこの区別が曖昧な場合がよくあると思うんですよね。最新の情報を扱うような教室とか、あるいは日本語教育のように教える内容はそう簡単に変化しないようば業界でも、教科書が充分に普及していないような地域だったりすると、知識を伝えることだけが唯一の目的になってしまって、教師が一方的に話しておしまいという教育スタイルになりがちです。そういう教育機関は医者だけいて看護婦のいない病院、あるいは作家だけいて編集者のいない出版社のような組織だと考えてもいいのではないでしょうか。
その地域で日本語教育がある程度発展してくると、コンテンツの専門家は教科書などを作ることになるので、本来なら現場の教師は看護士的な仕事に専念できるはずです。つまり、ニーズやレディネスなどの学習者の立場を理解して、カスタマイズさせながら練習を組み立てていくような仕事です。ところが、教育業界は医療とか出版と違って、その役割分担が明瞭ではないために、どうもそういう方向に進まない場合が多いような気がします。
それで、上記twitterの中にも出てくる動機付けの話とも関連するので、最近ちょっと面白い経験をしたことをご紹介したいと思います。
うちの五歳の娘は最近ピアノを習い始めたばかりなのですが、五歳で楽譜も読めずに「ドレミファソ」という言葉(?)の意味も分からない状況で、おまけに先生はベトナム人で言葉もあまり通じません。(まあ、娘のベトナム語は僕よりは上手なのですけど)
そういう状況で、最近ハノイで「美女と野獣」というミュージカルを見たんですよね。それで、その主題歌がとてもお気に入りなんですが、ピアノの先生に教わってきたのが「ドレミファソ、ソファミレド」というフレーズなんです。指が五本あって、弾く音も五種類、左から右に順番に弾いて、今度は右から左にも順番に弾くだけ。これなら五歳児でもできますよね。
そしてそれが、「美女と野獣」の主題歌の
Ever as beforeという部分なんですよね。
Ever just as sure
この歌を知らない人にはよく分からないと思いますが、歌詞と音楽は以下で確認できます。
http://www.stlyrics.com/songs/d/disney6472/beautyandthebeast512038.html
実は娘のピアノの先生には僕は一度も会ったことがありません。でも多分ピアノの先生なんだから、ピアノは上手なんでしょう。それがそのコンテンツの専門家ということです。でも、それだけじゃなくて、この先生は「美女と野獣」の主題歌がお気に入りの五歳児に、「ドレミファソ、ソファミレド」を教えることができました。
つまり、ユーザーの「美女と野獣がお気に入り」という文脈と「五歳児の初心者」というレベルを的確に把握して、それに見合うコンテンツを提供し、その結果、そのユーザーはそのスキルを身につけることができたわけです。
おそらくUSTREAMやyoutubeなどで、オンラインでピアノを教える先生はどんどん出てくると思います。日本語教師でも授業を公開している先生はたくさんいるのですから、もしかしたらすでにピアノの先生でも、そういう人がいるかもしれません。でも、そういった形式では、ユーザー一人一人の文脈やレベルを把握してそれに見合ったコンテンツを提供することはできないわけです。
そりゃ超有名なピアニストが教える動画なんかがあったら、すごい人気にはなると思います。だから、誰にでも同じコンテンツしか提供できないピアノ教師というのはすぐに淘汰されてしまうでしょう。でも、「美女と野獣」が好きな五歳児に「ドレミファソソファミレド」を教えるセンスのあるピアノ教師なら、それほどオンラインの超一流ピアニストは脅威に感じなくてもいいのではないでしょうか。
【参考】
『美女と野獣』を上演したHanoi International Theatre Society
http://hanoi-hits.info/
関連する写真
http://www.flickr.com/photos/46925571@N04/sets/72157623300982716/
