2010年04月21日

CBI(Content-based Instrinction)が今後普及する三つの理由

CBI(Content-based Instrinction)について日本語の文献が少ないようなので、もうちょっとだけ書いておきます。

なんでこんな名前なのかというと、ようするに「能力」とか「技能」とか「cando」とかが中心ではないからなんですよね。

普通のコースデザインの場合は、構造シラバスにしろ、場面シラバスにしろ、「その文型で(あるいはその場面で)コミュニケーションできる能力を身につける」ということが目的になっています。そして、その目的にあわせた例文や会話モデル、短い読み物などが用意されます。

ところが、CBIの場合はその順番が逆なのです。まず学習すべきコンテンツがあり、英語や日本語などの第二言語をを使ってそのコンテンツを学ぶことを通して、結果的にその言語も身につけるのです。

たとえば下の例では自動車の修理工が英語の学習中には英語力が伸びなかったのに、自動車のクラスを取るようになってから、急に英語が上手になった例などが挙げられています。
もちろんその期間、彼は、
英語の勉強を一切していない。
しかし、彼の英語力がその期間に上がったのは、
紛れもない事実だ。
つまり、英語を勉強せず、
英語以外のテーマを勉強することによって、
英語を身に付けてしまったことになる。

修理工のクラスは、
彼に英語を教えるのが目的ではなく、
彼を修理工として育て上げるのが目的なはずだ。
しかし、彼が愛する車のことを、
学習することによって、英語も身についたという、
一石二鳥の話なのだ。
http://blog.livedoor.jp/apecunited/archives/50101930.html


語学だとわかりにくいかもしれませんが、たとえばインターネットのリテラシーなどを身につけていく過程を考えてみるとわかりやすいかもしれません。私自身もお金を払ってネットの使い方などを勉強したことはたったの一度もありませんが、ネットを通していろいろなことを学んでいくうちに、結果的に検索エンジンを始め、様々なオンラインツールを使いこなせるようになっていきますよね。

これがまさにCBIなわけです。

普通のクラスでは、まず目標となる「能力」があり、その能力を身につけるための会話例などが考えられ、それが「コンテンツ(内容)」となります。コンテンツはどんな人にも受け入れられなくてはならないので、当たり障りのない無難な内容にならざるをえません。

たとえば『みんなの日本語』だったら「大阪城公園で会いましょう」とかいう内容になるわけですね。

なんども書きますが、こういう内容はあんまり面白くありません。でも、だからといって、それが悪いというわけでもないのです。「日本語を学びたい」という括りだけで集まった人たち(日本国内では共通の言語すらないこともあります)の間では、ちょっとでもエッジの効いた内容にしてしまうと、すぐについていけない人たちが出てきてしまうからです。

ただ、時代は変わりつつあります。

「CBI」とか「content-based learning」などのキーワードで検索してみると、すぐにそれがインターネットや自律学習と関連付けられて語られていることに気づくでしょう。

そうなんです。今まではコンテンツというものは紙やビデオカセットやCDでした。でも、今はコンテンツはそういったメディアに縛られず、ネットにあります。そして、それは手を伸ばせば簡単に手に入る場所にあるのです。

インターネットの時代になって、このようにさまざまなコンテンツへのアクセスが用意になったこと。この意義は大きいです。自分の目標言語で書かれた、自分の好きなコンテンツが簡単に手にはいるんですからね。

そしてもう一つ。

PLE、つまり個人的な学習環境が整備されてきたこと。これも大きい。たとえば、「web問題作成ツール」やsmart.fmでは自分の好きなコンテンツから練習問題などを作ることができますし、lang-8などでは好きなことを学習言語で書けば、誰かが添削してくれます。pop辞書とか、キングソフト辞書のように、入力すら必要のない辞書もありますよね。そうそう、日本語学習に関しては「リーディングチュウ太」の果たしてきた役割も忘れてはいけません。

こういったツールを利用して、アニメ好きな学習者ならアニメを通して日本語を学べばいいし、サッカーの好きな学習者はサッカー中継の音声や関連する記事などで学ぶことができるわけです。

そしてもう一つだけCBIにとって有利な時代の変化をあげていきます。

それは、高度情報化や社会のシステムの複雑化、多様化などにより、人々が仕事や勉強にかけなければならない時間がどんどん増えていることです。

それとCBIがどう関係するのか、と思われた方もいらっしゃるかもしれません。でも、これはかなり大切なことだと思います。というのも、学習対象に没頭すれはするほど、学習時間をかけられるようになるからです。

多忙な現代人にはやらなければならないことが毎日山ほどあります。その中で時間を捻出して学習を続けるには、強い動機が必要になります。その点、CBIでは好きなコンテンツを通して学習するわけですから、学習を始める敷居が非常に低いわけですよね。

ということで、現代は以下の三つの理由によりCBIにとっては追い風になっていると思います。

1.様々なコンテンツに簡単にアクセスできる。
2.個人的な学習環境(PLE)が整備されてきた。
3.学習に大量の時間を投入しなければならない時代になった。
posted by 村上吉文 at 08:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日本語教育 | このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
たびたび失礼します。
知り合いの日本語の先生から聞いた話です。

ある中国人学生から、読解力に自信が持てない、という相談を受けて、
たまたま持っていたフリーペーパー「R25」を渡したのだそうです。

次の日、「僕の周りで、この冊子が置いてあるところが見つかりません。
先生、見つけたらくれませんか」と頼まれたということ。
何か、彼の興味に一致したところがあったでしょう。

それから半年ばかり、その学生に「R25」を渡し続けたところ、
みるみる彼の読解力、表現力はアップしたということ。

これが、CBIなのか、わからないですが……。
興味がある内容なら、学習者は勝手に学ぶもんなんだ、と、いつも思います。

長文コメ、失礼しました!
Posted by 青山美佳 at 2010年04月21日 08:43
参考になりました。ありがとうございます。
私の理解が正しいかどうかわからないのですが、
ある意味では至極当然なことなんじゃないかな、と思います。

一部の人や、学校教育の一環を除けば、何かそれでやりたいことがあるから学ぶわけですからね。
文学が読みたいからフランス語を始めた、とか、旅行会話だとか、も、広い意味でそうでしょう。

それから、語学学習と、自分のやりたいこと(CBI)との絶え間ない往復になると思うんです。

ひょっとすると、問題は、教室の場になると、教師も学習者も、そういうことを忘れてしまって、コースデザインだとか評価だとかになってしまうことなのかもしれません。
Posted by Jun Arisue at 2010年04月21日 20:49
青山さん、arisueさん、コメントありがとうございます!

そうそう、至極当然なんですよね。
ただ、今までは一斉授業が主流だったので、それをクラス単位でまとめると、それぞれのニーズに合わせられないので、ありきたりな無難なものになってしまっていたんでしょうね。

基金の事業仕分けも心配ですが、別の意味ではすごくおもしろい時代を生きているなあ、という興奮がおさえきれません。
Posted by 村上吉文 at 2010年04月21日 20:57
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