というのも、これって、なかなか自分では気がつかないことも多いからです。特に個人的な作業の場合は他の人と比較ができないので、気がついた人が「これはあなたの才能ですね」と教えてあげなければいけないのではないかと思うのです。
そして、それって日本語教師に限らず、教育に関わるすべての人間にとって、かなり重要なミッションなのではないでしょうか。
たとえば、このブログを書いているのは日本に行ったこともないベトナム人の学生ですが、彼女に「すごく文章力のある人ですね」と言ったら、「え、私って文章力があるんですか?」と驚かれたことがあります。
彼女の場合は文章という他者の目に届きやすい分野の才能なので、本人の自覚がなくても指摘してもらいやすかっただろうと思います。
しかし、たとえば僕はパソコンのショートカットキーを使って他の人より効率的に作業をすることができているようなのですが、自分にとっては当たり前なので、他の人の作業を見るまで、なかなか気がつくチャンスがありません。こういう個人的な作業の分野では、他者がその人の才能を見つけてあげることは、なかなか難しいのではないでしょうか。
その見つけにくいことを見つけてあげることも、教育に関わるすべての人(組織で部下を持つ人も含む)にとって重要な仕事なのではないかな、と思いました。まあ、こうして書いてみると「当たり前じゃん」という気もするのですが、少なくとも僕は今まで自覚的にしていなかったので、これからもうちょっと気をつけて見ていきたいと思っています。
なお、この本の「自分の才能の見つけ方」は、以下に比較的よくまとめられているようなので、ご紹介します。
自分の才能を見つける手がかり
無意識に反応していること
慣れない仕事や苦手な仕事の局面、突発的な出来事や窮地に立たされたとき、自分が無意識に気にかけて行動をとったり、逆に行動を制限したりしていること。無意識のこだわり。
切望すること
誰かに止められても、社会的・経済的にムリでもムダでも、それをやりたくなってしまうこと。周りの意見・風潮などに惑わされず、自分の「真の切望」に耳を傾けることが大事。
修得が速いこと
その分野で必要な技術を学び始めたとたん、自分の中でスイッチが入ってしまったこと。気がつくと他の人を引き離し、教わらなくとも次にやるべきことが湧いて出てきて自らやっていること。
満足を覚えること
それを成し遂げたとき、気分がいいこと。その状況下にいると満足を覚えること。「これはいつ終わるか」ではなく、「いつまたこれができるか」が気になって仕方ないこと。
※参考:「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう あなたの5つの強みを見出し、活かす」
http://withd.jp/news/career/000701/3093.html



しかし、自分には「文章力がある」ということには今も自信をあまり持っていないんです。ベトナム語でぜんぜんうまく書けないんですから。
日本語で文章を作るのは、何というか、趣味です。言い換えれば、それは「好きであること」ですね。また、書き上げたときのすっきりした気持ちが好きだからです。「それをやったら満足感が得られること」ということかもしれない。
相変わらずのご活躍に、こちとらも励みになります(笑)
>「これはいつ終わるか」ではなく、「いつまたこれができるか」が気になって仕方ないこと。
これって『好きこそもののはじめなり』的ですね。
今の私は記事書きたい!原稿書きたい、取材したい!
ですが、営業がぁ…で泣いてます(トホホ)
自分も今になって、昔「好きだったこと」と「得意だったこと・やれば芽が出たかもしれないこと」は違うと自覚したので、子供にはさりげなく客観的に見てその子が得意とすることに気づかせてあげたいと思ってます。
そうですか。ベトナム語で文章を書くのは得意じゃないんですね。でも、それはもしかしたらベトナム語の方が上手だからこそ、自分の文章と理想の文章のギャップが見えてしまうということなのかもしれませんよ。
あすかそうさん
そんなあなたには、ご存知かもそれませんが、このURLをプレゼントします!
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1
沼さん
そういえば、みーくんは、うちの娘よりずっと空間認識みたいな能力は高いと思いますよ。積み木とか、かなり能力があるように思いました。(うちの娘が下手すぎるのかもしれませんが)