この『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
まず、何と言っても第四章「日本語という国語の誕生」。著者の水村美苗さん独自の視点が非常に面白いです。ここでは水村さんは日本語が国語として誕生し得た条件を以下のように三つ挙げています。
1.「現地語」で書かれたものの地位が高く、「現地語」が成熟していたこと。(村上注:「現地語」は「普遍語」であった漢文に対する日本語のこと)
2.印刷資本主義があったこと。
3.日本が西洋列強の植民地にならずに済んだこと。
そして、その一つ一つについても、非常に斬新で独特な考察が示されています。たとえば、一点目についての部分では日本では科挙が行われなかったことがその理由の一つとして挙げられています。科挙が行われていたら、有望な人材がすべて漢文の学習に吸い込まれてしまうので、紀貫之のような日本語での文学は育たなかっただろうとしているのです。
それから日本の初代文部大臣だった森有礼の日本語廃止論に関しての考察も面白かったです。これは批判的に紹介されることの多い主張ですが(最近では荻野貞樹の『旧かなづかひで書く日本語 (幻冬舎新書)
こういった語彙もなく欧米の技術を吸収して列強の脅威に立ち向かわなければならなかった当時の為政者にとっては、たしかに「日本語ではダメだ」という考えも合理的だったのかもしれません。
私の中では森の日本語廃止論も和製漢語の誕生も、それぞれ別のものとして理解されていたので、そういう時代背景があってこその主張だったというのが、何だか目から鱗でした。(と書いてみると、何だか自分がバカに見えるが、実際に新鮮な驚きだったんだからしょうがない)
ただ、本書の主題は「英語の世紀に日本語は生き残れるのか」ということなんですよね。話し言葉ではなくて勉強に使える言語として生き残れるのか、ということです。このままでは新しい知識に関する情報はすべて英語で書かれるようになってしまうというのです。
実際、私も最近「learning2.0」などの概念について英語の資料を見ていて、その新しさとか豊富さ、層の厚さに驚いています。そして、まさに本書で述べられている「読まれる連鎖に入りたい」という気持ちと、「英語ももうちょっとブラッシュアップしておかなきゃ」という意味で、自分の実践について英語でブログを書こうかな、と思っていたところだったのです。
ですので、本書を読み終わった今、さて、自分はどうするのか、というのが非常に悩ましいところです。
日本語で書いて、日本語での貧弱な資料を増やすために貢献するのか、それとも「読まれる連鎖」に入るべく、英語で書くのか。
そういう問いを真剣に考えるきっかけになったというだけでも、本書は読む価値がありますし、あまり真剣に考えていない人には必読だと言ってもいいと思います。
その他、有名な書評としては、以下の二つを挙げておきます。
梅田望夫「水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。」
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
小飼弾「404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき」
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html



そうではないと思います。なぜなら、その「とき」は、少なくとも私の生きている間には起こらないと思うからです。
だから、これしかできない自分が、これが好きな自分が、それに一生懸命打ち込んでも、無駄にはならない。そう考えることにしています。
でも、寂しいですね。殺伐としますね。100年後の日本を考えると。
お薦めの本、できればどこかで手に入れて読みたいものです。